2014年7月30日水曜日

42歳からの子育て…3歳と1日(お母さん、笑って!)

<薬師池のカメを見る父と息子の会話。「カメさん食べたい!」「おう、カメ旨いぞ」>

一昨日満3歳を迎えた。

ところで、このブログ
いつまでも、タイトルが、42歳からの子育てだが、
当然、わたしも三年分、齢を重ね、45歳。
9月に46歳になる。

新しい幼児教育の仕事現場は想像以上に身体に堪える。
短大卒20歳。ふた回り以上も若い同期入社の先生と同じように動けるわけがない。

今日は、久々にかかりつけの表参道の鍼灸へ。腰痛治療ほかもろもろ気分転換など。
アキュラ鍼灸院の除院長、脈を診ながら
「宮本さんのブログを見て、またお一人来ましたよ」

こんな怠けブログだが、まだ、頼りにしてくれている方がいて、
素直に嬉しい。

高齢出産を目指してるアラフォー女子の
ほんのささやかな光になれば、と書き始めたこのブログ。

ようやく3歳になる高齢出産、高齢育児ど真ん中の心境を書こうと思う。
来院してくれたKさん。
赤ちゃんを授かりたいと、もっと前向きな気持ちになってくれたらと。

3年前に産声を上げた時には、3051グラムのやせっぽちだったが、
3歳になり、身長97.7センチ、体重15.6キロに成長し、
とにかく、なんでもよく食べる。大人一人前にかなり近い量をたいらげる。

保育園での褒め言葉の大半が、「よく食べるみきおくん」
せっかくモンテッソーリ園なので、お仕事、どんな活動したか、とか
報告してほしいなんて期待するも、そんなコメントはほとんどお目にかかれない。

あまりやってないのかね。
ま、いいか。

よく食べて、よく笑い、お散歩大好きで、緑の中
お花や木の実をひろったりダンゴムシ捕まえたり、
ダダに付き合い、畑でトマトやとうもろこし、カボチャに
水やりしたり、ミミズを見つけて、引っ張り回したり、
歌が好きで、替え歌も作るし、とにかく毎日楽しくて仕方がない。

「トマトってかわいいなまえだねー、上から読んでもトマト、下から読んでもトマト…」
夜寝る時の子守唄にも、毎晩「トマトの歌」をせがまれる。

とにかく、食い意地がはっている。食べることには非常に貪欲である、と
これだけは自慢してもいいだろう。


近所の薬師池公園の池にいた亀を見つけて、なんと言ったと思いますか?

「あ、カメさんだ。カメさん、美味しそう。カメさん食べたい!」

それを聞いた父親のイチロウ。

「お、みきお。そうだな!カメ美味そうか?カメはなあ、うまいぞー!」
「みきお、こんど、カメ食いにいこいうな! ね、なーこ、行こうね!」

大抵のことはおおらかに受け止める質のわたしだが、
公園の池のカメを美味そう!とか、食べたい!と感じる感性を持ち得ない。
どうしても共感できずに、無言でただひたすら聞き役に回った。

環境のあらゆるものを吸収する幼児期。
我が家の環境、わたしやイチロウの生活習慣、価値観、
おしゃべり、交友関係、家の中の(自分らにとっての)適度な乱雑さ
すべてを無意識に吸収し、取り込み、自分の身体の一部にする、
(by  モンテッソーリ理論)

子どもの笑顔って、ほんとに、キラキラした宝物だ。
みきおは笑顔がたくさんの子どもで、現時点では、
それが本当にいいところだな、と太鼓判を押せるとこだ。

くるくるよく笑い、よくふざける。
お得意の、おっぱいの歌を歌いながら、わたしのTシャツの首元から
おっぱいをまさぐる。

「だめ!おっぱいはもう卒業したでしょ!」

母親のスキンシップを求めているのはよーくわかるんだが、
もう単純にくすぐったくて困るのである。

そして

もうお母さん、疲れているから、さっさと着替えて、さっさと歯磨きして
さっさと寝るよ!・・・と、
大人の都合で子どもをひっぱっていこうとしたい気持ちになってしまうのである。

すると、決まって言う。

「お母さん、笑って!・・・ねえ。お母さん、笑って!」

んなこと言われても。
どんなしかめっ面をしているのか?
自分ではわからない。

しかし、おそらく、子どもにとっては、
非常に嫌な顔、見たくない表情であるには違いない。

わたしも小さい頃、母のしかめっ面が嫌いだったのをふと思い出す。
夕刻、仕事から慌ただしく帰宅し、息も整えぬまま、猛然と夕食の支度をする。
その合間に

「なこ。ピアノは練習したの?!」

と怖い顔で睨まれる。

いきなり、帰ってくるなり、怖い顔しないでよね!
仕事で疲れて八つ当たりしないでよね!

仕事と3人の育児とを一生懸命に両立していた母親の苦労や苦闘を
なにも理解せず、とにかく、その怖い表情の母を嫌った。

なんだ。そうか・・・。

やっぱり、知らず知らずに
怖い顔の母親を吸収して育ったんだな。わたし。

いきなり、親の責任にしたりするか。

とにかく、子どもは、
たくさんの笑顔とあたたかい温もりで抱きしめて欲しいのだ。
母親のいなかった時間に頑張った、我慢した、寂しかった、
いろんな気持ちをぜんぶ受け止めて欲しい。

その気持ちが、うちのみきおの場合には
「おっぱい!おっぱい!」と表現される。

まさか、おっぱいを飲みたいわけじゃない。
おっぱいと連呼したり、おっぱいを触ることにより
母親と近づきたい。母親のいなかった時間を埋めたい、要するに
甘えたい、ってことだ。

「お母さん、笑って!」と日々、子に要求される、昨今のわたしの疲労度はいかに・・・。

アキュラ鍼灸院の院長は、

「うーん。すこし疲れてますね。新しい職場だから。
 でも、以前みたいな、めちゃくちゃな状態じゃないですよ」

「まだまだ、十分、妊娠できますよ」

院長は年齢は関係ない、と私には言い切る。
健康ならば、49歳までは妊娠できる、というのは、古くからの中国の言い伝えだそうだ。

絶大な信頼を寄せる、院長の一言。
とはいえ、それはどうかわからない。
神のみぞ知る世界だろうが。

しかし、素直な気持ちは動く。
子どもは何人いてもいい。
もっと子どもを産み、育てたい。

こんど女子に生まれたら、
20代から妊娠して、10人ぐらい生み続ける
昭和初期の子沢山母さんになってみたい。

そんなわけで

なにを言いたかったかというと、
子どもを授かり、育ててみて思うことは、
子どもって本当に宝なのだ。
42歳で自然妊娠できたことには、心から神様に感謝する。

と同時に、
もっと早くに産んでおきたかったという思いが確実にある。

30代後半、あんなに飲んだくれて、働き詰めで、身体を酷使して、痛めて、
もっと大事にしないといけないのである。
女は産む性なのである。深夜残業は禁止とされた時代の常識は
ある意味正しかったと、私は断言する!
夜の1時、2時まで飲み屋でクダを巻いているバヤイではなかった・・・。

いまさら、の、女の本能なのか。

なので、このブログには、
40歳過ぎても諦めないアラフォー応援歌 的な思いだけでない
わたしなりの率直な考えを、綴っておるのであります。


2014年4月27日日曜日

42歳からの子育て…2歳8カ月(これ、成長痛?)


<夕映の畑にて>


かなり久しぶりの投稿。

きっかけをくれたのは、北海道のある
女性からのメール。

わたしのブログを見て、
「勇気がわきました。がんばります」と以前に連絡をくれた
同郷のアラフォー女子のKさん。

「おかげさまで赤ちゃんが生まれました!42歳からの子育て、愛おしく楽しい日々です」、と
嬉しい報告をくれた。

おめでとうございます!

わたしも、生まれたての3000グラムの小さな赤ちゃんだった、
みきお、を初めて抱いた時の感動を思い返しました。

そして、あれから
気づいたら、もう2歳8か月になっていた。
身長は98センチ超、体重14.6キロ。
重いのに甘える。

「抱っこー」
「抱っこしないよ。お母さん、腰痛い」

「おっぱい、おっぱい!」
おっと、
さすがに、おっぱいは卒業しました。
ただ、どうしても触りたいらしい。

「勝手に触らないよ。失礼します。よろしいでしょうかって、
きちんと断らないと」
「おっぱい、おっぱい!しつれいしまーす。よろしいでしょうか」

そんだけ上手にしゃべるのに、
まだ、おっぱいですか。

まあ、いつまでこの甘えが許されると思ってるのか。
ていうか、いつまで、母親のわたしが、許すのか、です。

日々、どんどん身体が成長。
すぐお腹が空き、毎食、モリモリ食べる。
なんでも食べるのはありがたい。
保育園でも、給食とオヤツの時だけは、いつも一番に
椅子に座り待ち構えているらしい。

最近、夜中になると
「痛いー、痛いー」と
足を指差しながら、泣きわめくことがある。
さすったり、冷やしたり、
抱っこしながら30分あまりのうち、
また、すーっと眠る。

これがうわさの成長痛か。
こんな小さな幼児にもあるらしい。
ネット検索したら、たくさん経験談が表示される。

あんまり痛がるので、抱っこしながら、
寝かしつけ。
寝室にある鏡に映った姿を見て驚く。

こんなに大きくなったのか!
わたしの胴体部位からみきおの両足が立派に
はみ出ている。重いわけだ。
腰が痛いわけだ。


赤ちゃんの時は、わたしのこの両手の中に
すっぽり収まるサイズであった。

2年8か月。
42歳から始まった初めての育児。
わたしは45歳も半ば過ぎた。

しかし、成人まで、まだ17年以上。
この先、どんな痛みを乗り越えてゆかねばならないのかね。
互いにね。

がんばろうぞ。


2013年9月30日月曜日

42歳からの子育て・・・2歳と2ヶ月(子育てに関するしきたりその1:甘いもの)



出産後、最低でも月1回はブログを書こうと頑張ってきたがが、、、このザマです。
半年以上も怠けていた最大の理由は、4月から学生になったこと、で、
日々の宿題に追われ、駆け抜けるような2013年上半期。

気がついたら、みきおは2歳の誕生日も過ぎ、私の45歳の誕生日を過ぎ、秋になっておりました。

前回の更新は2月。
1歳半の時点で、どんな子どもだったかを思い出すことが既に困難。
やはり、マメに記録をしておくことが重要であります。

実は、つい先日、ある子育て中のお母さんからのメールが舞い込んだ。
「kimamaさんのブログを拝見し、同じ世代の方が頑張っている姿や考えを知ることができ
励まされた気がします。ブログを更新されるのを楽しみに待ってます!」とあった。

やばい!

夏休みは1ヶ月半もあったのに・・・。
山盛りの宿題や、モンテッソーリのポートランド国際大会の旅、保育士の試験勉強などにまみれて
手がつけられなかった。

この方からのメールのおかげで重い腰をあげることができた。
こちらこそ、ありがとうございます。

さて、2歳以降のこと。
みきお2歳の誕生日(7月28日)はアメリカのヨセミテ、夫の友人ヴェロニク夫妻の別荘で迎えた。

”Happy Birthday dear MIKIO・・・” を歌ってもらって、かわいいケーキのロウソクを2本消す。
「ふー!!!」

消えない。

「ふー!!!」

・・・消えない。

ケーキを用意してくれたヴェロニクは、優しい。
「なによ、このロウソク。おかしいじゃないの?」

ろうそくを悪者にしてくれた。

父親も手伝って、「ふー!!!」っと、ようやく消えたロウソク後、
ヴェロニクや父親からのプレゼント授与。

「Look!MIKIO!Look!MIKIO!」とヴェロニク。
みきおは父親からのかわいいモンキーちゃんのぬいぐるみには目もくれず、
目の前に置かれた、ケーキに釘付けである。

指でちょいと舐める。

「うまい!」と叫ぶ。

また、指でちょいと舐める。

「うまい!」

そりゃそうだ。
こんな甘いもの、普段は口にしたことがない。

「なんだこりゃ!こんな甘い美味しいものが世の中にあるのぉおお・・・?」と顔が言っていた。

めくるめく体験のはずである。

我が家では、砂糖のたくさん入っているいわゆるお菓子的な物は子どもに与えない。
飲み物も、水か麦茶。100%のオレンジジュースやりんごジュースをたまに頂くことはあるくらい。

普段のおやつは、みかん、りんごなどの果物、干し芋、栗、レーズンやナッツなど。
最近はホットケーキを焼くぐらいはする。

甘いものをあげない方針は、親譲り。たまたま夫の親も同じ方針だったのには助かった。
みきおは、そんなわけもあってか、ご飯をよく食べる子で、
保育園からの連絡帳にも、すべて「おかわり、おかわり、おかわり」と書かれている。
家でも何でもよく食べるので、食事に関しては苦労がない。

小さい子には甘いものをあげないしきたり、我が家の徹底ぶりは凄かった。
子ども時代、学校から帰って、ただいまーっと、
さて、おやつを食べたいと、家中を探しても出てくるのがみかんや焼き栗しかない。

「ねえ、みかんはおやつじゃないよ!」といつも親に不平不満を言っていた。
栗もおかしじゃないが、甘いので、まだ許せた。栗しかない時は、
弟と二人で、大量の栗を黙々と食べた。

たまの外食。父親はビールを飲むが、子どもの私たち3人は、水しか飲ませてもらえない。
ジュース、コーラ、サイダーの部類は、一切、NOであった。

特に父は厳しかった。頑として許さなかった。

ので、親に隠れて、友だちの家などで、スナック菓子を食べるのは極上のひと時だった。
あるとき、まだ日が暮れる前、父が帰ってこないから、と覆いに油断し、
家の玄関前でカールのチーズ味をひと袋、友達とばくばく食べていたところに、
なぜか父が帰ってきて、大きな雷が落ちた。

あーこわ。

あの時のことを思い出すと今でも震える。

しかし、子どもはやはり甘いものが好きであり、
当然、遠足にいったり、友達のうちにいったり、祖母と出かけた時など、
ここぞ!とばかりに、普段は口にできないお菓子を食べる。

これがまた、本当に嬉しかった。
「あー、これこそがお・や・つだ」と思った。

大学にも入り、自立して大人になってから、
自由に好きなものを買える環境になったので、
当然、チョコレートも、カールも、アイスクリームも、
食べる人になっている。

でも、40歳も過ぎ、いざ子育てをする段になると、
親から受けた、甘いものは小さい子どもに与えない主義の人になっていた。

なんだかんだ、子ども時代の親から受けた躾が染み付いているわけで、
兄や弟とたまにこの手の話をすると、やはり、兄弟も小さな子どもらには、
ジュースや甘いお菓子類は与えない主義の人だった。

「ご飯が食べられなくなるからダメ」と
食事前のおやつは、特に厳しく禁じられたことを、今でもたびたび思い出す。
お腹ぺこぺこで食事をするのが正しいと。
子ども時代は、それが嫌で嫌で。

その他にも食事作法やら、その他生活の作法全般に厳しかったこともあり、
親の存在、特に父親の存在が本当に疎ましかった。

そんな親の考えは正しかった、と自信を持って言えるし、ありがたかったと思っている。

子供はほっておくと本当に甘いものが好きなので、
やめられなくなる(大人もそうかな)
そうすると、ご飯が食べられなくなる。

それに、虫歯になるしね。

たまに食べると、最高に美味しいしね。

当分、みきおは、たまに遭遇する甘い誘惑に翻弄されることになるだろう。
そして、いつか、大人になったら、
今の私と同じように、親から受けたしきたりを、すとんと受け入れるようになるだろうか。


2013年2月7日木曜日

42歳からの子育て・・・1歳6ヶ月と9日(父に似てくどい!)

<初めてのお絵かき・・・チョンチョンチョン!>

1歳6ヶ月に入り、おしゃべりが加速。
日々、口数が多くなる。
解読不能なことばも多い。

1歳6ヶ月(検診)とは、ウィキペディアによると、
「幼児期初期の体の発育、心の発達が、歩行や言語の発達などで次第に顕著に表れ始めてくる時期に行われる健康診査である」

確かに!言語の発達が顕著、とまではいかないけれど、
語彙が豊富ではないのだけれど、
とにかく、同じ言葉をひたすらに、しつこく繰り返す。

最多は、やはり「まんま」
→ご飯、お母さん、両方の意味が含まれており、生きるために不可欠な最重要項目。

お腹がすくと、「まんま」と連呼する。これはよくわかるのだが、
概して、お腹がすいていなくても、「まんま」が出る。
この時には、少し前に食べた美味しいご飯や好物を思い出してか、
または、お母さん、と甘えておるのか、判別できない。

第2位は、「おっぱい」
→文字通り、おっぱいを飲みたい、の意味。
栄養的な意味合いと、精神的な依存、甘えの意味と両方あるけど、
最近は、3食+おやつを十分に食べているので、甘えの意味合いが強くなっている。

保育園から戻った時、寝る前、などは、
「おっぱい、おっぱい、おっぱい!おっぱい!おっぱい!」としつこく言い続ける。
あまりにしつこいので、「俺に似て、みきおはくどいなー」と父親も苦笑。
やむをえないけど、あちゃまーっていうところが似てしまうものですね!

第3位は、「ばいばーい」
→本来の意味の、「さようなら」だけでなく、「いってらっしゃーい」や「ありがとう」、
「またきてねー」や「こんにちは」「元気ー?」「おやすみ」ぐらいの意味までが含まれており、
さまざまな場面で多用される。

最初に「ばいばーい」が出来た時から、わたしが「上手にばいばいできたね!」と褒めつづけており、
また、「みんなに、ばいばいするんだよ」と教えてきた効果か、
スーパーのレジのおばちゃんや、電車で隣り合わせのおじいちゃんや、とにかく、人を見ると
「ばいばーい!」する。振り向かない人がいると、反応するまで「ばいばい!ばいばい!」と
叫び続けるので、どんなに耳の遠いじいさんでも、オロオロと体をむけてくれる。

その様子を、また私が「えらいね、みきお。みんなにばいばいできるね」と褒めるので、
この「ばいばい」もしつこく、しつこく、繰り返されている。

あとは、「わんわん」も大好き。「ちゅんちゅん」(鳥)や「かーか」(カラス)も好き。
自分の子供ができる前までは、こういう赤ちゃん言葉でおとなが話しかけるのを
軽蔑していた質なのに、今ではすっかり赤ちゃん言葉が馴染んでおり、
「さ、あんよ、洗おうねー」と言っている。

むしろ、

「さ、足を洗おうね」とか、「犬が啼いているよ!」とか
「鳥が木にやってきたよ!」ときれいにしゃべるより、子供と一緒になって
「あ!わんわんだ!あ、チュンチュンもきたね!」と言ってるほうが、
なんだか情感があっていいな、とすら思う。

だって、実際、「わんわん」と「ちゅんちゅん」と聞こえるのだ。
いずれ、それが「犬」であり、さらにそれが「ダックスフンド」であるとかは、
必ずそのうちいやでも覚えるのだから、最初の幼児期、「わんわん」と言って何が悪い。

「わんわん」などの赤ちゃんことばではなく、「犬」などのきちんとした言葉で話しかけましょうという、
一般的な子育ての教えには今のとこ、従っていない。

1歳半のみきおが、お風呂場で
「あんよー!あんよー!」と連呼しながら、私の足にせっけんをつけて洗ってくれるのだ。
これは今しかないし、「あんよー!」じゃないと、かわいくない。
しつこいけど、かわいい、のも今しかない。

そんなこんなで、言語の飛躍的な成長期、1歳6ヶ月。
もうすこし、マメにブログにアップしておかねば、と思っております。






2012年12月26日水曜日

42歳からの子育て・・・1歳と4か月と27日(二足歩行がもたらしたもの)


ブログを書くのをさぼっていた、この2カ月。
”脳力”の躍進が続いた。

「ようやく、よちよち歩きができるようになりました」と、そろそろ書こうと思っていたら
もうすっかり直立二足歩行を体得したようだ。

ヒトは、直立二足歩行ができたことにより、喉の構造が変化し、
飲食物と呼吸の経路切り替えのために、喉の筋肉を高度に制御する必要が生じ、
脳神経や筋肉が高度に発達し、その発達した脳と喉構造の変化によって
複雑多様な発音ができるようになり、言葉の世界がどんどん広がって、 
抽象的な概念を持てるようになって、さらに脳の発達を促し、さらに進化した脳で
さらに高度な思考ができ、、、、
こうして、ヒトの大きな脳は、類人猿の3倍になったそうだ。

だから、1歳3カ月すぎ、二足歩行をはじめた、みきおの脳みそは、
日々刻々とものすごい勢いで躍進しておるようだ。

ある日、「マンマ」という言葉から始まった。
ご飯&母親の2つの意味があるので、1日のほとんどは、「マンマ」と言っている。
それ以外にも、むにやむにゃ・・・と認識不能な、かわいいおしゃべりをたくさんする。

最近は、「バイバイ」が言える。
そして、お父さんのことを「だあーたん」と呼べるようになって
父親がその可愛さと嬉しさのあまり、朝からむんずと抱きしめ、頬ずりをし、
そして、とても哀しいせつない後ろ姿にて出勤していく・・・。

クリスマスイブを含めたこの年末の3連休、久々にゆっくりした。
カラっさむい北風の中、畑にいくと、枯れ葉、おち葉たっぷりの
やわらかい土の上を、ひょこひょことたくさん歩いた。

嬉しくてしょうがなーい!
 
みきおは歩くのが嬉しくてしょうがない。
父は、その姿を見るのが、嬉しくてしょうがない。

ほんとうに、嬉しくて、嬉しくて、しょうがないの図であります。


この先、二足歩行、さらに上手になり、ついに走るようになり、
難しい言葉をどんどん覚え、脳みそがどんどん発達すると、
今みたいな、こんなシンプルな、父と子の蜜月などは、
なくなるのだろうからなあと、
無心で、「だあーたん」と父を呼ぶ、幼子の姿が愛おしい。


それもありつつ、”マンマ欲”旺盛につき、みるみる太くなり、
ついに11キロを超えた。あのひょろひょろ君はどこへ。
急に骨ぶとになり、ずっしりと重い。

にも変わらず、おっぱい、おっぱいだし、抱っこ、抱っこが続くようで、
温シップを腰に貼りながら、この寒い冬、乗り越えねばなという
そんな師走。もうあと数日・・・。

それにしても、お湯が出ないこんな冬の日はつらい。
銭湯通いも二週間を超えた。
「たまの銭湯はいいよねー」だったけど、ぼちぼち日常化しつつある。
わたしたち中年夫婦は、こんなつめたすぎる水では、顔も歯も磨けない。
毎朝、お湯を沸かすのが日課です。

さすがの「子どもは風の子」の子どものてのひらにも、しもやけ。

電気屋さん!明日こそ、、、たのんます!



2012年10月28日日曜日

42歳からの子育て・・・1歳2カ月と29日(ウンチを教えないその心)

<父をヘッドロックするも、お互い熟睡の図>


明日で1歳3カ月。相変わらずおっぱい依存は変わらない。
・・・が、この1カ月間、おっぱい依存と並行しての、食事に対する貪欲さ、すごかった。
「食欲の秋」は、幼児にも当てはまるようだ。
おかげで、体重も急増し、10キロを超えた。
もう、以前のようなやせ気味のひょろひょろ君じゃない。

特に、保育園に通った日の夜は運動量、外界からの刺激量が多いせいか、
こちらの食事の支度が待ち切れない。

10月23日火曜の夜。保育園から帰宅したのが17時。
保育園の日の恒例、夕方の長時間(約30分)のおっぱいタイムの後、
すこしだけおもちゃや絵本で一人遊びしていたものの、17時45分ごろには
キッチンにいる私の後ろに抱きつき大きな声でわめき、早く食べさせろとせがんできた。

「はいはい、じゃあ、バナナから食べてようね」
食事の準備がままならないときは、まずは、バナナでお茶を濁す。
以前は、このバナナで5分ぐらいは時間を稼げたのだが、最近は、あっという間に
1本を丸飲みしてしまう。冷凍しといたご飯をチンする間もなく、振り向くと、
「あ!あ!あー!!」と、お皿を指さし、お代りを要求。

「早すぎる!もっとゆっくり食べようよ、ね、みきお、早食いは良くないのだよ、よ。」
やむなく、時間稼ぎの第二弾。
「じゃあ、パンすこし食べようか」翌朝のために購入した食パンを半分ちぎって渡す。

パンは大好きである。
ご飯も大好き、バナナも大好き。
やはり、幼児は、炭水化物、すぐにエネルギーになる食物が一番のようだ。

この日の夜は、ものすごい食欲で、
バナナ1本、食パンを1枚をあっという間に食べてしまい、
その後、焼き魚のつぼだいを、がつがつ手づかみ。非常に気に入ったようで、
大人1人前を私と分けようと考えていたが、気づいたら、ほとんど残っていなかった。
そして、ご飯にひじきをかけて1膳ぺろり。
大好物のおからの煮物とかぼちゃも両手づかみ。
ちょっと、食べ過ぎた感があり、さすがに19時にはすでに眠そうであった。

しかし、19時過ぎに父親が仕事から帰ると、嬉しくてはしゃぎだし、
父が食べてるそばに張り付き、「あ!あー!あ、あ、あ、」と大きな声で、おしゃべり。

これは、「ぼくも食べたい」という合図で、明らかに自分が食べていない
サラダ、だとか、酢のものだとか、そういうものに目をつける。

幼児のくせに、もずく酢、なども食べたがる。

親の好きなものは子も好きになるのですね。
そんなわけで、また父親の食事からつまみ食いをして、お腹パンパンにして
20時半過ぎにお風呂に入り、イヤイヤの歯磨きタイムの後、
21時前、おっぱい(添い乳)しながら、ようやく寝た。

最近は、よく食べるせいか、深夜のおっぱいは一回あるかないか。
この夜は、大食のためか、熟睡。朝までよく寝た。

こんだけ夜ご飯を食べた翌朝。
いつもならば、朝ごはん前に、うんちがあるのだが、うんちが出なかった。
あまりに食べ過ぎて消化不良を起こしてたのかもしれない。
さすがに、朝はそう沢山は食べなかった。

この日も保育園の日で、16時半にお迎え。
お迎えの時に渡される、保育園からのお便りの紙には
おやつ、食事、うんち、睡眠、園での様子などが書かれている。

「今日もみきおくん。機嫌よく過ごしてますよー。
園庭のお砂場でお山つくったよねー、みきおくん」

「そう、よかったねー。みきお。あ、先生。そういえば、今日はうんちでましたか」

「あー、出ましたよ。すごくたくさん出ました!びっくりするぐらい出ましたよー」


お便りをよく見ると、
排泄(うんち)の欄には、こう書いてあった。


”9:05分 普通(大量)”

あまりに多かったので、大量。と書きましたー、と
かわいい保育士さんは笑ってくれた。
どんくらいか。大量って、本当に大量だったのだろう。
昨夜の夜の食事分ぜんぶがうんちになった状況を想像する。

生後1歳2カ月の思い出は、振り返ると、本当によく食べたなあってこと。
うんちもよく出たし、夜もよく寝てくれた。
この1カ月は発熱もなく、毎日元気で、機嫌よく過ごした。
一人で立てる時間も少しずつ長くなり、そろそろ歩けるようになる準備も整いつつある。
名前を呼ぶと、「はーい」と手もあげる。
大人のしゃべってること、ほとんどは理解しているようだ。

おっぱい依存は高いし、抱っこ抱っこもまだまだあるけど、
私の身体の負担もだいぶ軽くなり、
つい、「2人目ができればいいな」・・・などという、大それたことを考えてしまったりする。
そんな余裕も出てきた。

しかし。1つだけ、できてないことがある。
うんち後・・・。

うんちをしても、教えてくれない。
どんなに大量にしても、オムツをぶらーんと重そうにぶらさげたまま、遊び続けている。

「うんちしたら、お母さんに教えてね」と、たびたび言うのだけど。

最近は、うんちが大人なみに臭い。
どんなに離れていても、「あ、うんちした!」とわかる。

ちっとも教えてくれないので、仕方ない、
「あ、みきお、うんちしたんじゃない?」と近づき、
オムツをひっぱり、中を見て、うんちを確認し
「うわ。こんなにたくさん出た。みきお、うんち出たじゃないー」と言うと
にやっーと笑う。

おい、こら。笑うでない!
教えないとだめでしょ!

私はオムツが1歳半ば早々に取れた、手がかからない子だったと
母が教えてくれた。女の子はだいたいそう。男の子は遅いし、お漏らしも多いらしい。

どうなるか。
オムツ卒業の前に、まず、ウンチを合図する訓練だよなあ。


臭いうんちを嗅がせるのが楽しいのか。
残念ながら、子どもは大人の言うことがすっかり理解できているが、
大人の私が子どものことがまだまだ理解できない。
にやっと笑う、その心はなんなのか。ん?

2012年9月28日金曜日

42歳からの子育て・・・1歳1カ月と30日(おっぱい依存とあんよ未満の相関関係)


1歳2カ月も目前。
最近、ようやく、すこしずつ ”一人立ち”の準備が始まっている。
両手を広げて一瞬は立ち、大きな笑顔で声をあげる。
・・・が、一歩二歩で、バタン!

9月26日(木)、この日は月1回ペースで集まってる、鶴川エリアのお母さん仲間の野外散歩会。
今日はひなた村に集合。7人の友だちは、みんな1歳の誕生日を過ぎており、
4人歩き始め、残り3人がハイハイ続行中=あんよ未満。
・・・偶然か?みんな男の子だ。
無料で遊べる室内の親子ルームにはたくさんのおもちゃ、室内遊具があり、
4人の友だちは自由自在にあちらこちらを歩きまわっていた。
3人が女児。1人男児。やっぱ、女の子は成長が早い。
3人のハイハイ男児は、母親の近辺を中心に、ニコニコ安全圏を動き回っている。

この3人の男児には共通点があった。
3人とも、猛烈なる”おっぱいっ子”
夜寝るとき、おっぱい無しでは眠れないのはもちろんのこと、
お風呂の中でもおっぱい、おっぱい、
ちょとしたすきに、母親の洋服を勝手にめくり、立ち飲みおっぱい、
そして、片方のおっぱいを吸ってるとき、必ずもう片方の乳首を摘まむ癖があるのも共通していた。

「だんながさー。俺にも片方あけとけよー。とか言うのよー(笑)」、と、おっぱいっ子Hくんのママさん。
「もう片方の乳首を揉むの、うちだけじゃなくてよかったー。この子、変なんじゃないかって。
 心配だったー。」と、二人目のおっぱいっ子Fくんのままさん2。
「誰に教わったわけでもないんだから(笑)、遺伝子レベルの癖だねー」と、3人目のおっぱい子、みきおの母の私。

ま、子どもの個性の一つということで片付いて良かった。
しかも3人共通だし、なんとなく問題が薄くなって、ちょと恥ずかしいけど、吐露できてほっとした。

んー、そうか。
おっぱい依存が高いと、一人立ちも遅いのかもしれない。
相関関係がありそうに感じる。
「うちの子は歩けるけど、おっぱい大好きな方だと思うのー」と、あんよ中の女児Aちゃんママさん。
「へえ。うち、1歳の誕生日に断乳しちゃったけど。まったく問題なし。前から執着してなかったなー」
と、あんよ中の女児Hちゃんママさん。卒乳一番のり。
「えー、うちは、まだ飲んでるけど、お風呂?目の前にあってもぜんぜん飲まないよ」、と最近、あんよ達成の大柄のNちゃんママさん。

あんよできてる男児Mくんママに、「Mくんはどう?」と聞くと、おっぱい、けっこう好きらしい。
しかし、もう片方の乳首を摘まんだり揉んだりするまではしないらしい。

7人の中でも、すでに例外が発生。
もう少しサンプルが必要かもしれないが、確率的には、
男児で、かつ、おっぱい依存が高い、しかも片方の乳首を摘まむ癖があると、あんよが遅い。
今日の鶴川ママ会(通称「鶴ママ会」)の半分は、このおっぱい問題に終始した。

そろそろ、外でも遊ぼうか、と、みんなで表に繰り出した。
滑り台を見て、歓喜する、男児2人。
みきお、とFくん。両方とも、おっぱい依存&あんよ未満。

この2人。ぼくら、ハイハイだけは負けないぜ、と妙に気を吐き、
競争しあうように、滑り台をハイハイで登り始めた。
早い!早い!早い!
Fくんのホフク前進は誰よりも早い。平地と同じ勢いで、滑り台も一気に頂上にたどり着いた。
「あぶなーい!待ってえー」と、かあさん、慌てて追いかける。

それ見てみきおも、負けじとスパーク。
っていうか、その前に、私がスパークした。
「みきおも、がんばれー。ほら!ほら!」
靴下を抜ぎすて、まず自分が滑り台を登り手本を見せ、上から激励し、やる気をあおった。

はい!登れました。

滑り台の頂上から、2人とも、自分で自分に拍手して大喜び。
「ぼくたちおっぱい依存だけど、片手で乳首を摘まむ癖あるけど、そんでもって、あんよ未満だけど、あんよ達成の女の子たち!ここまで来れないでしょー!」ってな、ささやかな優越感を、
満面の笑顔にたたえて。

面白いねえ。

1歳1カ月は、振り返ると、いろいろ初めてできたことがありました。

家の階段も上まで登れて、下まで下がれた。
ハーモニカの音が出せた。
手づかみだけど、食事も一人で食べられる。
コップで上手に水やスープが飲める。
一瞬なら、一人で立てる。

身体能力の回路、あちこち、スイッチが入り初めてきたようだ。
あんよも、もうそこまで来ている。

今月、わたしは44歳になった。おっぱい活動をやめると楽になるよ、と人は言う。
おっぱい依存への変化も始まるか?な?