2012年6月27日水曜日

42歳からの子育て・・・10カ月と30日(高齢出産、高齢育児について思う)

<子ども同士の戯れの、なんと楽しそうなこと・・・>

今日は、赤ん坊とは離れたつぶやき。

昨夜、一人の女性からメールが届いた。
妊活中(こんな言葉があるのですねえ)の1つ年下の方だった。

私のブログにたまたま辿りつき、読んでくださったようで、


どれほどの勇気をいただいたことでしょう・・・、とあった。


最近、私は高齢育児(?)の生活に、「疲れた」という言葉ばかり吐いていた。
高齢妊娠中は、身体は絶好調で、持病の腰痛も治まり、快適な日々だったのだが、
高齢出産後の高齢育児生活は、予想以上の肉体疲労に参っていた。

自分は、この年にして赤ちゃんを授かったこと、を、
本当に運が良かった、と思う。
神様に感謝する。

そして、40歳を過ぎ、子どもを望んでいる女性に、
少しでも光を感じてもらえたら、という思いもあり、ブログを書き記すことにした。
特に、私と同じように、ずっと仕事優先の生活をしてきた女性には、

「大丈夫、まだ、可能性はあります。がんばって!」と言いたかった。

そして、

「でも、のんびりしてる余裕はない。今すぐに、生活改善を、体質改善をして!」とも。


メールをくれた女性は、高齢出産に関する世の中にあふれる情報の渦にのまれ、
たぶん、悩み、苦しみ、あきらめ・・・の日々を送っていたことだろうことは想像できる。


私も、つい最近、”卵子の老化”という衝撃的なタイトルのテレビ番組を見たばかりだった。
この番組を見ていたら、本当に私は運が良かったのだ、とつくづく思い、
そして、隣で寝ている赤ん坊、みきお、がここにいるのは奇跡のように感じた。

高齢育児がいかに肉体的に大変か、を、この10カ月、思い知らされたこともあり、
“卵子の老化”の番組で伝えたかったメッセージ、
「(日本の)女性は、出産適齢期をもっと早く意識しなければいけない」ということ、
私も強く共感した。

・・・と同時に、

でも、赤ちゃんは、神様の領域のことなのだ、とも思った。

だから、平均的には、やはり40歳以上の妊娠は、非常に確率も下がるし、
さまざまなリスクも伴うことは確かなのであるが、
人の身体には個人差がある。
40歳代でも健やかに、無事に、妊娠、出産をしてる女性は確実にいる。

私のように、42歳と51歳の中年夫婦に赤ちゃんがやってきてくれた例もある。

子どもがほしいと望んで、さまざまな努力をしている女性、そして夫婦にとっては
うまくいかなかった事例と同じぐらい、運よく、赤ちゃんを授かったうまくいった事例に
強く心を動かされるのだ。

信じることしかない、と、わたしは最終的には思う。

そして、また、最終的には、赤ちゃんは人智を超えた領域の世界だと思う。

自分の思い通りにならないこと。

だから、どんな行く末になろうと、それを全部受け止めることが求められるのだろう。


メールをくださった方。見ず知らずの方なのだが、
この方のおかげで、私はこのブログをコツコツと書いてきて
本当に良かった、と、心から嬉しかった。
少しでも、一筋の光を感じてもらえたならば、本当にうれしい。

疲れた、疲れた、とつぶやく日々の中で、忘れがちだった、
こんなに愛しい子どもを授かることができた幸せを、感謝した。

明日で、生後11カ月。













2012年6月20日水曜日

42歳からの子育て・・・生後10カ月と22日(赤ちゃんはドタキャンキング)


一時保育デビューから約1カ月。

「今日は朝から涙を見せることもなく、にこにこで
保育園の様子にも慣れてきた様子のみきおくん・・・。」

・・・と昨日の保育園からのお便りに書いてあり、喜んだのもつかの間、
昨夜からまたもや発熱。今朝は38.8度あり、やむなく保育園、ドタキャン。
あーあ。

赤ん坊のからだ。
女心の秋の空、よりも、さらにもっともっと移ろいやすい。
寝る前まではめちゃめちゃ元気だったのに、深夜からいきなり高熱が出てぐったりしてたり、
仕方ないから、今日の遊びの予定はやめだね、と家でおとなしくしてると、
昼過ぎには平熱になり、部屋中をはいずりまわり、いつものやんちゃ坊主に戻ったりする。

なので、赤ん坊を相手にしている保育園の方々は、朝8時の一時保育キャンセルでも
動じることもなく、「はーい、わかりました。ご連絡ありがとうございます、どうぞお大事にー!」
こちらは、「あー、ほんと、直前で申し訳ありません」というお詫びしつつ


「あーあ、今日もまた歯医者もキャンセルしなきゃだわ」と
自分の予定も合わせて変更せざるを得ないので、”あーあ”続きである。

”あーあ”、とか言っちゃっているが、
だって、仕方がないのだ。
赤ちゃんの発熱、鼻水、咳は、大人の風邪引きとは違う。
成長過程に必要な健全な反応。ひとつずついろんなウイルスやバイ菌と闘い、
自らの抗体を作っていく。


健診でお世話になった吉祥寺の薬いらずの名物小児科の真弓先生にも、こう言われた。
「発熱、鼻水、咳、下痢、嘔吐・・・。いずれも子どものからだが治ろうとしている状態です。
止めてはいけません。子どもがせっかく病気を治そうとして体温を上げているのに、
解熱剤などを使って熱を下げると、 バイ菌は喜んでしまうんですよ」


がんばって、闘っているのだから。
成長する、丈夫になるために必要な、赤ちゃんのお仕事のようなものだ。、


食欲、機嫌、便通、、、この3つに問題がなければ、大丈夫。
食欲がなく、水も飲めない、夜も眠れない、便が出ない・・・・
そういう場合は病院に連れていきなさいと。

まあ、多少、いつもよりは機嫌も良くないし、うんちも1日ちょい滞っているけど、
今日は1日静養して、様子を見よう、ということで、自宅休養の日にした。
39度ぐらいの発熱では、だんだんうろたえなくなってきている。

昼間、私の背中でお昼寝をたっぷりしたせいか、午後からはだいぶ活力が戻ってきた。
夕方には、赤ん坊のお遊びスペースに設置した鏡(亡き祖母お手製の姿見を活用)に向かい、
いろんなものを振り回し、投げつけ、がちゃがちゃと音を立てて喜んでおる。


だいぶ元気になってきたようで。
熱がある最中にも、笑顔が出るとほっとする。


しかし、こんな移ろいやすい赤ん坊を傍らに、
”働くお母さんは偉いなー”、と改めて感心する。

自分が会社に勤めていた頃には、子持ちのお母さん方の状況をここまでリアルに想像はできていなかった。そりゃあ、子どもが熱を出せば、母親が仕事を切り上げて迎えにいくのは当然であり、
それを周囲の人間がカバーするのも当然と思っていた。
が、このように、予測できない感じ。特に、保育園や幼稚園にいくと、あっという間にいろんな
病気が移るし(それはある意味では良いことともいえる)、身体も敏感に反応するようで、
母親はいつどんな風に子どもの体調が悪くなっても、すべてのことに優先して駆けつけてあげられる状態にいなくちゃいけないよなあ、、、と、つくづく思うのだ。

だからこそ、そのような母親を支援する様々なサービス、子育て支援事業も盛んであるわけだ。
ようやく、そのような子育て周りにある課題や社会の対応の過不足について、リアルにイメージが
できるようになってきた。

そして、自分の母親への感謝の気持ち。(父親にも感謝はしているが、別のカテゴリー)

毎日休むことなく続けられる、育児と家事の日常。

食事を作る、ご飯を食べさせる、食器を洗う、汚れた洋服を着替えて、洗濯する、
おむつを変える、あー、うんちがはみ出ていた。洗う、また着替える。
離乳食後におっぱい。そのまま赤ん坊は昼寝。
やった、少し掃除でもするかなー。などと思いつつも、自分も睡魔に襲われ、
一緒に寝てしまい、気がつくとお昼に。やおら起きて、昼ご飯の用意・・・。

自分だけのためなら、こんなことはできない。
愛おしいわが子だから続いている。
そして、高齢出産後の育児の肉体疲労はとんでもなく予想以上のしんどさだけれど、
気がつくと、「疲れたー」ばかり言ってしまっているけど、
しかし、わが子の火照った熱い身体を抱いていると、
どんなに自分の身体がバキバキで、寝不足でフラフラでも、
何時間でも抱き続けて、子守唄を唄い、寝顔を見届けるのが母親である。

ドタキャンキング、明日は保育園にいけるかいなあ。