2011年8月30日火曜日

42歳からの妊娠・出産・・・出産間近に。

7/26火曜日。
明日には入院。ラスト妊婦day。
カメラマンの夫に撮影してもらい、
臨月の撮り納めとしました。

バックのオブジェは、お馴染み安田侃。
at 札幌中島公園

2011年8月28日日曜日

42歳からの子育て・・・生後一ヶ月

8月28日(日)晴れ
今日で樹和(みきお)が生まれて一ヶ月が経った。
東京で離れて暮らしてる夫イチロウに「あっという間だったね!」とメールしたところ、
「オレにはものすごく長くかんじる」と返事。
そうだよね。

8月5日退院後の生活は、
おっぱい→寝る→泣く→おっぱい→寝る→泣く・・・。

これがひたすらに繰り返されている。
それ以外には、おしっこうんちのオムツ交換と、沐浴。
たまに、音楽を聴きながら、抱っこしておしゃべりをする。

つねづね、育児は体力だ、ということを聞いていたけど、
実際に自分が対峙してみると、体力というか、生活サイクルの大転換。
とにかく、赤ちゃん独自の世界、リズムにすべてを合わせて過ごすことになる。
2、3時間おきに泣き、おっぱいをあげる。深夜も含め、24時間体制なのだ。
8月半ばのお盆休み、4日間一緒に過ごしたイチロウは、
「なーは、みきおの奴隷だね」と言った。(”なー”とは、私の呼び名)

みきお様の泣き声とともに起き、おっぱいを差し上げる。
満足するまで、吸い続けるみきお。
その後はすやすやと寝付くまで、抱っこし続ける。
赤ちゃんにも男女の別が明確にあるらしく、
男の赤ちゃんの方が圧倒的に手がかかるらしい。
甘えん坊で、抱っこ好き。
いつまでもおっぱいをくちゅくちゅしていたい男の赤ちゃん。
生後すぐに、男子の特性、すでに主張していることは面白い。

母乳はだいぶ出てきた。が、十分ではないため、ミルクも混合。
ミルクの用意はすっかり母任せ。慢性的な睡眠不足のため、家事一切やらず、
実家にいる間は育児に専念させてもらい、私が母に甘えている。
それでも、この1ヶ月間。落ち着いてパソコンに向かう時間などとれなかった。

深夜2時、5時、、、と泣きぐずり、起こされ、
「はいはい、おっぱいだねー」と言いながら抱っこして、ソファに腰掛け授乳をする。
朝方、眠そうな私を見て、母は必ず「あー。昨夜も起きたの?ご苦労さま」とねぎらう。
食事の時間に、私はうまいぐあいに自由にならない。
寝かしつけた後、一人、食べることが多いのだけど、そんな時、父は言う。
「ちゃんと食べないと、栄養がとれないよ」
そりゃわかってるけど、今はだめなのだよ。こんなに全身ふるわせて泣き叫んで
おっぱいを求めている赤ちゃん、ほっとけないでしょう。

おっぱい活動のたび、東京にいる夫イチロウに、写真とメールで報告する。
深夜2時10分。「みきお泣き。おっぱいTIME!スタートしました」
深夜3時。「みきお、ようやく寝ました。あー食欲がかなり増進してるよ」
深夜5時。「みきお、起きちゃいました。おっぱいTIME!スタートです」
・・・こんなメールの繰り返しだから、またイチロウから返事が来た。

「みきおは神だ。しかし、なーがいないと、みきおは一日も生きられない。
ほ乳類ってそういうことなんだね」

私が奴隷なのか、みきおが神なのか。
生後すぐの赤ちゃんだけでなく、乳幼児を育てることは異空間だとつくづく思う。
今までの仕事人生・経験は何の役にも立たない。
世界中のお母さんはこうしてきたのか、と、感服し、そして
世界中の人はみな、こうして母親の身をけずる日々のおかげで大きくなったということ。
誰もがお母さんから生まれ、育ってきたということ。
このことに驚き、ただ感嘆する。

生後3週間目ぐらいからは、寝てる時間が少なくなり、ひどいときは1時間後に起き、
おっぱいを求めるようになってきた。身体が大きくなり、足ばたばたの力も強くなり、
泣き声もどんどん大きくなる。母乳とミルクの量が足りないのかな?
ミルクを増やした方がいいのかな?と心配になっていた。

8月26日(金)一ヶ月検診。北海道社会保険病院にいく。
出産タイミングが同じお母さん仲間と再会。
赤ちゃんがそれぞれに大きくなっていた。
そして、お母さんたち、みんな睡眠不足と闘い、おっぱいおっぱいの日々を語り合う。
あー、どこも一緒。たいへん、たいへん。

双子ちゃんのお母さんも来ていた。男の赤ちゃん、女の赤ちゃんの双子。
一人でもこんなに苦労。双子なんて信じられない、、。大丈夫?と聞くと、
意外とにこやかだった。
「うん。でも、男の子が手がかかるの。抱っこしてないと泣くの。
女の子はほっといても平気。たくましいよ」

検診結果。母子共に問題なく、順調だった。
みきおの体重は4キロ弱まで増え、身長も4cm弱、伸びた。
1ヶ月で1.2キロ増はすこし増えすぎ、ぐらいの感じらしく、
「このままミルクは増やさず、母乳を増やしていってくださいね」、と小児科の澤田先生。
「なんか、すぐ起きて、おっぱい欲しがるのですが、足りてないのでは?」と聞くと
「いえ、これだけ体重増えてるから十分すぎるぐらいですよ」と言われた。

「はあ・・・」
この時期の赤ちゃんの食欲増進のカーブはすごいらしく、一気にハングリーになる
タイミングなのだそう。引き続き、おっぱいおっぱいで頑張る、ということか。

乳首はすでに一度皮がむけ、ひりひりは通り越し、いくら強く吸われても
もう大丈夫、というか、我慢できる、慣れてきた。
3時間起きに授乳するリズムができてきてるせいか、3時間後には、自然に
乳首から母乳が漏れてくるのだからすごい。
赤ちゃんの泣き声に反応して、母乳がこぼれる、ということもあるらしい。

「わたしって、動物なんだなー」と。つくづく感じる、この1ヶ月。
こんな万年の睡眠不足を耐えられるのも、お母さん特異のホルモン分泌の影響なのだろう。

また次なる1ヶ月で、どんな変化が起こるのか。
大変だけれども、この上なく幸せな、育児という異空間が始まったのだ。
子供が成人するまでならあと20年間!
そのうちのたった1ヶ月の第一歩。
親になる、自分の成長の第一歩でもある。





2011年8月21日日曜日

42歳からの妊娠・出産・・・(帝王切開)男児誕生。

7月28日(木)16時頃に手術室に入り、麻酔の処置が20分ほど。
いよいよ、執刀。
すでに下半身は感覚がなく、海の中に浮かんで、ぷかぷか浮いているようだった。

麻酔科の先生「どうですか?気分は悪くないですか」と聞く。
私「大丈夫です。なんか、宇宙に飛んでるみたいですね!無重力ってこんな感じかなあ」
麻酔科の先生「へえ。そんな感じかもしれませんね-。」
私「いやあ、すごい技術ですね!腕までは感覚あるのに、お腹の下だけが無重力みたい!」

私は、最新の麻酔の技術にすっかり感心していた。
メスが入り、お腹、子宮が切られているようだが、もちろん痛くない。
そして、瞬く間に、赤ちゃんが取り出される瞬間が近づいてきた。
看護師さん「そろそろ、赤ちゃん出ますよ!ぐーっとひっぱられるような感覚ありますからねー」
”むんずーっ”とお腹の中の大きな塊が下に引き出されるような感じがあり、
そして、”すーっ”と、その大きな塊が体外に出た。

看護師さん「赤ちゃん、生まれましたよ-!宮本さんの頭の上に見せますよー」
そして、上を見上げると、まさにたった今。
私のお腹から出てきた大きな塊、生身の赤ちゃんがそこにいた!!
「うあー。赤ちゃん・・・」
なんとも言えない気持だった。塊は泣かずにじっと有賀医師の手の中にいた。

そして、赤ちゃんは身体をきれいにしてもらい、再び、私の顔の横にやってきた。
目は閉じたまま、初めての外界のまぶしさに戸惑うような顔つきで・・・。
そして、泣き声をあげた。

私「あー赤ちゃん。良かった。おちんちんありますね-。あーありがとうございます。」
看護師さん「良かったですねー。元気ですよー。おめでとうございます」

ああ、生まれきてくれた。
とにかく元気な姿に会えて、ほっとした。
赤ちゃん、さっきまでお腹の中で大きな存在だった塊がなくなって、目の前にいる。
不思議な感覚だった。
下半身痺れたまま、頭はクリアのまま、手術は無事に進行し、お腹をふさぐ処理がなされていた。

その間に、赤ちゃんは助産師さんが外に運んでくれて、夫や両親と初めての対面をしていた。
そして看護師さんが「赤ちゃんは体重3,148g、身長49.5cmでしたよ」と教えてくれた。
お腹の接合後、1時間少しの手術の全行程が終わり、手術室から出た。
赤ちゃんが取り出されたあと、麻酔科の先生と四方山話をしているうちに、思いがけず
同じ高校の同級生であることが判明。お互いにうろ覚えの当時の記憶をたどりつつ、
なんという偶然!と、大いに話が盛り上がった。

麻酔科の神田知枝先生。北大医学部を出て、麻酔科の臨床医に。
確か、成績優秀でいつも学年上位の優等生だった人だったような・・・。
部活一辺倒だった私とは縁がない世界の人だった。
こんなところで再会するとは、本当に奇遇。

おかげで、多少不安だった帝王切開手術が妙に楽しいひとときに変わっていた。
手術室から出ると、夫や両親が出迎えてくれた。
夫の笑顔を見て、嬉しかった。ほっとした。
ああ、赤ちゃんが無事に生まれてくれた・・・。
やっと会えた。元気な赤ちゃん。

妊娠後期。
たまに赤ちゃんが生まれてくる瞬間のことを思い浮かべ、涙が出てくることがあった。
嬉しくて嬉しくて、きっと本当に泣いてしまうのだろう。夫と一緒に・・・と思っていた。
実際に生まれてきてどうだったかというと、
・・・涙は出なかったのだ。
なにか、嬉しくて涙がこぼれるというよりは、とにかくほっとした、という安堵の気持ちだった。
ああよかった、と。何度も何度も、心の中で繰り返した。

帝王切開の手術後、リカバリー室という部屋で一夜を過ごした。
麻酔が切れ、足の感覚が戻り始めたが、まだまだ身体が動かない。
熱が出てきた。身体中が熱く、のどが乾く。
看護師さんが、何度も夜中に来てくれた。
氷枕をして、熱を冷やす。
頭はぼーとしていた。とにかく疲れていたようだ。
その夜は懇々と、ただひたすら眠った。

翌朝、早くから夫が病室に来てくれた。
すぐに赤ちゃんにも会えた。

「かわいいねー赤ちゃん」
夫は顔がくしゃくしゃになっている。
熱もひき、下半身のしびれがなくなり、頭がさえてきた。
赤ちゃんをあらためて見る。
昨日まではお腹にいた赤ちゃん。
不思議だ。本当にこの子がお腹にいたのかな。

赤ちゃんの顔は、想像していたよりも、うんとしっかりしていた。
ついに、赤ちゃんが生まれたんだ。
じわじわと、赤ちゃん誕生の実感を押し寄せてきた。

2011年8月12日金曜日

42歳からの妊娠・出産・・・(帝王切開)入院~手術準備

出産前日の7月27日(水)
朝9時に北海道社会保険病院に入院。

30週あたりから逆子になり、逆子体操やお灸治療などを試みたものの、
ついに最後まで頭位に戻らず・・・。

この日は麻酔科の先生の診察がメイン。
2つの麻酔の説明を受ける。
脊髄くも膜下麻酔と硬膜外麻酔。
前者は局所麻酔で下半身だけをしびれさせる麻酔。
後者は背中に細いカテーテルを入れ、痛み止めを入れるもの。

この2つの麻酔により、手術中は意識がある中で、赤ちゃんが取り出されるのだ。

担当の麻酔科の先生は落ち着いた感じの女医さん。
丁寧に当日の流れを説明してくれた。
同席していた看護師さんは、ベテラン風のとても優しい人だった。
「私も高齢出産経験者ですよ。一緒に乗り切りましょうね!」と
暖かい笑顔で励ましてくれた。

不安がないわけではないが、一連の丁寧な説明、手続きと、ベテランの有賀先生に
執刀してもらえるという安心感から、私自身は、落ち着いて手術を受け止めていた。

・・・が、そばについていてくれた夫のイチロウは入院時からそわそわ。
手術日の朝は「最後の妊婦姿を撮ろう!」などといい、病室で写真撮影もしたりしたが、
15時半予定の手術までの時間をもてあまし、読書して気を紛らわすものの、
緊張の表情を隠しきれない。

手術当日の私は、朝はパン2つだけの軽い食事のみ。麻酔をするため、
水分も12時半までと制限されている。
そして、初めての浣腸・・・。これでお腹の中一掃が終了。
同時に、水分補給のための点滴が始まった。

お昼すこし前。赤ちゃんの心拍確認のNST(ノンストレステスト)のあと、
最後の診察。赤ちゃんの頭の位置を確認するエコーをやります、とのこと。
担当医の有賀先生。「どうでしょう。赤ちゃんは・・・」と言いながら、私のお腹を触る。
「うーん。ここに頭がありそうだね」
はい。そのようですね・・・とわたし。

私ももう、赤ちゃんの頭の位置については相当にベテランになった。
エコーで確認するも、残念ながら、おへそのあたりに、しっかりと赤ちゃんの頭があった。
「もう今日生まれますからお話しますが、たぶん臍帯が巻き付いてると思います」
有賀先生は最初の診察時から、きっとそのことは分かっていたのだろう。
私が再三にわたり、臍の緒が巻き付いているから逆子が戻らないのでは?と問うてきた。
やっぱり。そうだったのか。

「でも、大丈夫ですよ。よくあることです。赤ちゃんは元気ですので安心してください」
赤ちゃんの心拍と陣痛の度合いを確認をするNST(ノンストレステスト)は、昨日の昼間も、
そして再度、夜遅くに行い、赤ちゃん元気を確認していた。
きっと念には念を入れて確認を・・・の指示が有賀先生から出ていたのかもしれない。

臍帯が巻き付いていたとしたら、下から出産した場合には、危険が伴うことがある。
実は親戚にも、実は臍帯が首に巻きつき、脳性麻痺になってしまった赤ちゃんがいた。
とにかく、無事に、元気に出てきて欲しい、と、祈る気持でいっぱいになる。

夫には、臍帯の件は伝えなかった。
ただでさえ、あんなに緊張している。
大丈夫だから、有賀先生に任せておけばと。
私は無事の出産を強く信じていた。

付き添ってくれた助産師の阿保さんが笑いながら私にささやいた。
「ご主人、かなり緊張してますねー。顔がこわばってきましたねー」
ほんとだなあ・・・。本人は落ち着いてるのにね。
普通の分娩の立ち会いなんて、どだい無理だったんじゃないかと思ったりした。

手術予定は15:30過ぎだったが、予定時刻にナースコールがあり、もう少し遅れるとのこと。
仕方がないので、本を読み続ける。夫は相変わらず落ち着かない。父や母は病室の外にいた。

16時少しまえ。再びナースコール。
「宮本さん、準備ができました。行きましょう」

助産師の阿保さんと一緒に、点滴をぶらさげたまま3階の手術室に歩いて向かう。
父と母、夫もついてきてくれた。「あら、歩いていくのね」と母。
助産師さん「はい。そうなんです。でも、手術後はベットで運ばれてきます」
手術室の前に付き、大きな大きな自動扉が開いた。
「では、ここで。付き添いの方はそちらのソファでお待ちください」

私は、「じゃあね。いってきます」と言い、手を振った。
父、母、夫は黙って立っていた。3人がどんな顔してたか、よく覚えていないが、
ほんの一瞬だけ、夫の不安な佇まいに、ちょと泣きそうな気持になった。
自分は泣きそうな気持ちなんかじゃないのに。
そんな不安そうな顔したら、こっちが悲しくなるじゃないか。

でもでも、とても若々しい看護師さんが”手術”という場面に似つかわしくないくらいに
すごい元気に迎えてくれてくれて
「はい、宮本暢子さん!ではこちらに行きますね」と手術室に誘導してくれたので、
さっきの泣きそうな気持ち、また一瞬のうちに、どこかに飛んでいった。

大きな手術室のドアが開き、手術台の横に立つ。
スリッパを脱いで、細長い台に乗る。
3人の看護師さん、助産師さんが、私の大きな身体を支えてくれて、横向きになる。
「力を抜いて、少し丸くなってくださいね。これから麻酔をしますよ-」

ついに手術が始まる。少し心拍が上がってきた。
ふぅー。深呼吸する。
横向きに、丸くなって、麻酔を待っている間に、何にもの人の手が同時に私の身体の上を
飛び交い、心電図、血圧計などの計器が次々と付けられていく。
両足には血栓予防の機械がはめられた。
このまま、意識があるまま、手術が進められるのだ。
麻酔科の先生や、執刀の有賀先生やもう一人の男の先生、他にもスタッフの人達が
手術台の周りを取り囲み、手際よく準備が進められる。

昨日、麻酔科の先生の説明の時に同席してくれた年配の看護師さんが
左側の頭のそばに立ち、私の手を握ってくれている。
「宮本さん。私がここにずっといますからね。大丈夫ですからね」
ああ、なんて優しい声なんだろう。と思いながら、
しばらくすると、麻酔の針が背中に入る痛みをちくっと感じた。
「下半身が痺れてきますよ」と麻酔科の女医さんの声。

いよいよだなあ。

はっきりと意識のある中で、お腹から下の身体の感覚がどんどん無くなるのを感じていた。