2011年9月29日木曜日

42歳からの子育て・・・生後2カ月(夫も子もへとへとの巻)

<小指たてて寝る癖あり>

東京に戻り早10日。落ち着いてパソコンに向かうことがかなわぬ日々が続いた。
今夜はいつになく静か。
夫もみきおも爆睡中。
二人が寝入ってから3時間が経過しようとしている。

今日は夕方からしばし、夫とみきお、二人留守番を初体験した。
私が産後から調子が悪くて困っていた歯の治療に通うため。

おっぱいをしっかり飲ませ、
「では、いってきまーす!」と出かけたのが17:30。
ややしばらくして、みきおは泣き始めたらしい。
それから私が帰宅する寸前の19:00過ぎまで、
延々と1時間半あまり、ひたすら泣き続けた。
その間、夫はミルクを100ml与えたが、あっという間に飲み干し、
また泣き叫び始めてしまい、とにかく、抱っこしても、おしゃぶりをあげても
何をしても、全くなすすべなく、最後にはぜーぜー、喉が枯れるまで泣き続けたと。
その後、ミルクをさらに100ml飲ませたが、泣きすぎて、喉が渇いたせいか、
これまた一気に飲んでしまい、涙が乾かぬうち、再び大泣き。

「すごいよ。みきお。こいつはかなり頑固だ。」
約1時間半も泣き続けたみきお、ついに泣き疲れて夫の腕の中で寝ていた。
「おれは、もうずっと抱っこしていたけど、全くきかなかった。おれはもう疲れたー!」
「ごめんねー。イチロウ・・・」
「かわいそうなのはみきおだよ。窒息するかと思ったよ」
「・・・」


窒息するかもしれないからタクシーで帰ってきて、との夫の電話を受け、
急いで家に戻り、夫の腕の中で寝ているみきおの顔は
全力疾走1時間半っていうぐらいの、疲れ切っってぐったりの表情、
そして、ぐにゃぐにゃの全身。

1時間半の歯医者で留守にした今日、みきおはちょうど生後2ヶ月。
おっぱいを求めてひたすら1時間半、大泣きするほど、すこぶる元気、ともいえる。
そして、いくらミルクを飲まされても、寝る間際には、どうしても、おっぱい。
母親の私を求めている、というよりは、とにかく、おっぱいに吸いつかなくちゃあ
眠れないんだ、という赤ちゃんど真ん中、の甘えん坊、なのでありました。

夫も抱き疲れて、夕食も食べずにバタンキュー。
みきおの隣でへとへとの顔で熟睡しております。

赤ちゃんの生きるエネルギーに、中年夫婦はオロオロの日々、続きます。

2011年9月21日水曜日

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と24日(身体の変化その2)

<お祝いに頂いたお人形と>
1か月半を過ぎ、生後2カ月近くなった最近の身体の変化。
ほんとは、日々いろいろな変化があるのだが、まとめて。

<赤ちゃんの変化>
■体重・母乳
1か月検診:3940g
その2週間後:約4400kg(家の体重計、100g単位しか測れず)

2週間で約560g(1日40g)
桶谷式の石田先生には、いいんじゃない?大丈夫よ。と言われた。
母乳中心の場合、体重は、ゆるやかに増えるそうだ。

桶谷式の母乳マッサージ以来、ミルク補充は1日80~160mlぐらいに減っている。
なるべくおっぱい刺激を増やし、3か月ぐらいのときには、母乳だけ体制を目指そう。

■まつ毛が生えてきた。
・しかし、眉毛はまだとても薄い。そして髪の毛もまだまだ薄い。

■顔の乳児湿疹が消えてきた。
・油脂の分泌が少し減ってきた模様。石鹸洗顔の効果もあったのだろう。
すべすべお肌が戻ってきた。あー良かったね。

■視力がはっきり。
・人の顔・目をしっかり見ることができるようになってきた。
お人形やおもちゃ類にもしっかり食らいつく。
特に、初めての人に抱かれたときなどは、じーっとその人の顔を見つめている。
これから、みきおの好き嫌いも出てくるのだろうか?
いまのところ、人見知りはしていない模様。

■うんち詰まり気味→綿棒浣腸に成功!
ここ1週間ぐらいは、2日ぐらいウンチが出ない。
しかし、苦しい様子はないので、便秘だ!大変!とは慌ててはいない。
つい数日前は、病院で薦められた”綿棒浣腸”にトライしてみた。
綿棒にオリーブオイルをたっぷりつけて、お尻の穴の中に入れ、ぐにゅぐにゅと刺激。
「けっこう、しっかり綿棒を回してみてください」と助産師さんに言われたっけ。
そのうち、みきおの顔が紅潮してきた。
そして、ついに、用意していたお尻の下に敷いた新聞紙の上に、少し硬めのウンチが
うにょりうにょり、、、と大量に出てきた。

「やったー。みきお。うんちが出たねー。良かったねえ」
濡れティッシュで、その大量のウンチを拭く。お尻の周りにも及んでいたウンチをきれいにして、
そして、お尻の穴の中心をしっかりと拭き終えようとした、そのとたんに、
どばーっ!!!!!と、第二弾の、今度は柔らかめのウンチがさらに大量に出てきたのだ。
避難するすきがなく、私の右手には、みきおの第二弾のウンチがべっとりつきました。
しかし、私は二日ぶりに出たうんちに嬉しくて、そんなことにはもろともせずに、
「やったー。みきお。またうんちが出たね!たくさんたくさん出たねー。
良かったねえ。すっきりしたねえ。あー気持ちよかったねえ」

”大量のウンチ”、といったって、まだ生後1か月半ですから。
かわいいものです。嬉しいものです。
ああ、これは効果があるなあ、綿棒浣腸、と思いました。
そして、毎日毎日、おしっこの度、うんちの度にオムツを替え続けるのがお母さんの仕事。
わが子のおしっこ、うんちが手にかかったことが一度も無い、、などというお母さんは、
恐らく、この世にいないでしょう。
これがわが子というものだなあと。うんちぐらい、手にひっかけられても、もろともしない。
むしろ嬉しいものなのだ、と。

<母親の変化>
■体重
59kg~60kg(妊娠前は57kg、臨月は67kg)

妊娠前から+2~3kg
桶谷式の先生には、これ以上減らさないようにと、母乳のためにも、育児のためにも
体力を使うので、痩せないようにしなさいね、と指導された。
確かに、食べても食べても太らない。
高校の部活動のころ(16歳~18歳)以来の大食漢になっております。

■抜け毛は相変わらず。
しかし、増えてるわけではない。
これからシャンプーを変えます。

■歯のかみ合わせがおかしい。
ここ2週間ほど、気になり始めた。
下顎が出っ張ってきたのか?
噛み合わせが浅くなり、食べ物を噛むときに、上の前歯と下の前歯が当たるのだ。
私は幼少期に噛みあわせが反対で下の顎が出ていたため、矯正をして治した経緯がある。
出産のせいで骨盤が歪んだりして、また下の顎が出っ張ってきたのか?

さっそく歯医者に行ったものの、出産のせいで噛みあわせがおかしくなることは考えにくいという。
上の奥歯の親知らずが出てきたせいかもしれない。ならば、抜くか?
ちょと場所的にも角度的にも、かなり抜きずらそうだ。
いま、この授乳格闘中に歯が痛くなるのは、正直いってしんどい。
少し様子を見ることに・・・。

■腱鞘炎
相変わらず、腰、腕、肩も痛い。
腕と手、指の酷使が続いていること。
おっぱいのあげ方指導により、左手で赤ちゃんの頭を支え、右手でおっぱいを下から支えるため
特に、右手と指がつっぱるように痛い。
慣れるしかないのでしょう。
あまり、パソコンや携帯なども、多用しないほうがよいんだろうなと。


夜中のおっぱいにも慣れた。
わが子がお腹をすかせて、泣きながら、おっぱいに吸いつく姿は
本当にかわいい。愛おしい。
自分の体内にある栄養素が直接的に子供の身体に入ると思い、
妊婦のとき以上に食べるものに神経質になっている。
母乳、ミルクだけが乳児の成長の糧なのだ。

お母さん仲間は、”その頃に戻りたいよ、懐かしいよ”と言ってくれる。
後から振り返ると、授乳をしていた時期が一番良かった、幸せ実感した、と思うのかもしれない。
大切に過ごそう。おっぱい活動。

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と24日(カムバック東京)

<父の腕に抱かれて>
私の故郷は札幌。
高校卒業後、大学進学のため東京に来て、仕事を始め、約25年あまり。
思いがけず、赤ちゃんを授かったおかげで、久しぶりに札幌生活を楽しんだ。
6月末から約3カ月。妊婦中は毎日懐かしい場所を歩きまわった。
母校の札幌南高校の通学路、豊平川、中島公園。
そして、幼少期から通い詰めた月寒公園。
街の中心部、すすきのや大通り公園は、学校帰りや塾帰りに友人たちとよく出かけた
思い出の場所。でも、パルコとか大きなショッピングビルの店はすっかり様変わりしていた。

樹和(みきお)も生後1か月を過ぎ、私の身体もようやく復調した。
いよいよ夫の待つ東京・町田に戻ることに。

いつも思うんだけど、帰省するときは、「札幌に帰る」と言い、
また、東京に戻るときにも、「東京に帰る」と言う。
私の故郷はずっと札幌で変わらないが、いまや東京にも戻る場所、自分の住処・家族がいる。
やはり、カムバック東京!なのだ。

9月18日(日)札幌は肌寒く、曇り空。
いよいよ、という別れ際に、迎えにきてくれた夫イチロウに両親と樹和、私の記念撮影を頼む。
母は「さびしくなるわね。みきおくんの泣き声が聞こえなくなるのは・・・」と。
生後直後から、約1ヶ月半。日々成長する孫の姿をそばでみたのは初めてだったから、と母。
産前産後の家事ほとんどすべて、そして産後のみきおの育児のサポートまで、
すっかり甘えてきた。これから、私とイチロウが仲良く大切に育てること。
大きく元気に育った孫の笑顔を見せることを母への恩返しとしよう。
父はいつもの通り穏やかな笑顔で、玄関の外で見えなくなるまで手を降ってくれた。

東京までの(赤ちゃんにとっての)長い道中、多少の不安はあった。
公共の交通機関に乗るのは初体験だった。
結果、空港までの車中も、ずっとおっぱい。
空港では一瞬、すやすやモードだったけれど、飛行機に入った直後は起きてしまい、
またまたずっとおっぱい。
授乳ケープ、大変に役にたちました。

とにかく、夫も非常に心配していたのが、飛行機の離陸・着陸時の高低差。
小児科の先生からは、赤ちゃんは自力では耳抜きできないので、おっぱいかミルクを飲ませて、と指導されてきた。結果的には、ずっとおっぱいを飲み続けていたので(ただくわえてただけの時間もあったけど)、肝心の離陸時にも、着陸時にも、問題なく、泣きだすことなく、無事に過ごせた。

ところが、「あー、よかったよかった。よく頑張ったねー!みきお」と言いながら、飛行機を降り、
授乳室でオムツを替え、到着ロビーに向かう途中、急に、ぎゃんぎゃんと泣き始めてしまった。
夫イチロウは抱っこしながらおろおろ・・・。

でも、そりゃあ無理もないと思った。
初めての電車、飛行機と乗り継ぎ、降り立った羽田空港は、大勢の人、聞きなれない音楽、雑音、
飛行機の離発着のナレーションの声など、そりゃあ、1か月半の赤ちゃんにしては、いままでになく
とんでもなく騒がしい環境に飛びこんでしまったことになる。
近くのバーカウンターでお湯をもらい、多めにミルクを作った。
急いでバスに乗り、10分ほど揺られ、駐車場につき、車中のベビーチェアに座らせる。
そして、ミルクを飲むことによって、ようやく落ち着いた。

ミルクを飲み終わり、最初は良かった。
大都会の景色、見慣れぬどんよりした空、そして北国から一転して亜熱帯東京の湿気、熱気・・・。
1ヶ月半の赤ちゃんの脳みそに、どーっと、信じられないくらい大量の刺激が与えられてるんだなあ。
目を見開いて、くるくるさせながら、外を見つめている。
(ココ、ドコナンダ?ナニ?ナニ?)

15分くらいしたら、飽きてしまったのか、疲れてしまったのか、大泣きが再び寄せてきた。
車中での抱っこは危険。とにかく、ベビーチェアに縛り付ける。
泣いてもわめいてもそれだけはきまり。
みきおにはここは耐えてもらうしかないねと、夫も私も、ひたすら声をかけるしかなかった。
「みきお、もうすぐお家につくからね。あと30分ぐらいだからね。がんばれーみきお」

通じるとも思えないけど、声をかけるしかない。
夫にいたっては、こと細かく、説明をしだした。
「みきお、あと10分でつくよ。いま渋滞にはまってしまったからね。しかしこの角をぬければ、
そのあとはスムーズにいくからね。みきお、わかってるよね。あと少しだからね」
わかるはずはない。つらいのは変わらないのだから、ひたすら、ぎゃんぎゃん泣き叫ぶ。

「しかし、いい運動だよね。これもね」と納得するように、わたし。
「みきお、元気だよ、こんだけ泣き叫んでも疲れないんだから、えらいえらい!」と夫。

ようやく町田のはずれの自宅についた。
カムバック東京!
私も3ヶ月半ぶりに我が家に戻れて嬉しかった。
急いで、みきおにおっぱいをあげる。
泣き疲れても、まだなお、必死におっぱいにかぶりつく、元気なみきお。

「ここがみきおのお家なんだよ!」と、抱っこしながらみきおに語りかけた。
おっぱい後、元気になったみきおは、初めての部屋、壁、窓の外の風景などを
きょろきょろと見まわす。何度も何度も。新たな刺激に脳みそのシナプスが弾けているようだ。

みきおにとっては、ここが故郷。
出産の地は札幌ではあるけど、でも、君のホームタウンは東京・町田になる。
変な話だけど、この子の命が誕生したのは、まさにこの自宅の2階の寝室なんだ。
寝室にあがり、3人でベットに寝そべった。

疲れた。そして、なんて蒸し暑い東京。
でも、やっと3人生活がスタートする。
私にとっても、ここが第二のホームタウン。
札幌の街の素晴らしさ、過ごしやすさは何ものにも変え難い。
故郷の実家の心地よさは一生もの。
でも、ここが私たち3人の、みきおと一緒の新しい生活の場。
カムバック東京だ。

さてと、、、始まる。

2011年9月14日水曜日

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と16日(お母さん仲間からの泣ける手紙)

<ひとり遊びができるように>
出産後、いろんな方からお祝いの言葉をいただいた。
43歳まじかの高齢初産だったせいもあり、
「ほんとに母子共に健康でよかったねー」、とねぎらっていただくと本当に心から嬉しく、
ありがたい気持でいっぱいになる。

そして、子育てスタートし、おっぱい活動の大変さ、悩みなどをfacebookやブログで
つぶやくようになると、思わぬ人から、久しぶりに連絡が来たりした。
私が、生後1ヶ月ぐらいまでは、寝不足と授乳疲れもあり、ちょっとしたマタニティブルーになり、
実家の母にかなり八つ当たりしてしまった、との反省文を書いた時には、
卒業以来会っていない、大学時代の同級生から、
「私なんか今でもそう。母親に子育てをすっかり任せているのに、失敗すると怒ったりして
ひどいことしてる・・・」とのコメント。なんだか、この20年の時を一気に飛び越え、母親同盟を
組めたようで、気持がなごんだ。
「あーみんな一緒なんだな」と思えて、気が休まった。

また、仕事で知り合ったある女性からは、心のこもった長い手紙をもらった。
私の出産のお祝いの言葉があり、そして自身の出産・育児経験について、
つらい流産の経験、そして、出産時にも思わぬトラブルが発生し、急遽の帝王切開手術。
仮死状態での出産だったようで、産後もずっと不安な時を過ごしたとのこと。
今はすっかり元気に育った我が子の子育てに奮闘し、かけがえのない時間を過ごしていること。
そして、その時間を私と共有できて嬉しく思ってる、と。
私が仕事ばかりしていた姿を彼女はよく知っている。
仕事を辞めたと聞いて、え???とかなり驚いた、と書いてあった。

かわいい我が子との宝物のようなこの時を、他の人に共感してもらえるって素晴らしい。
とても幸せなことだなあ、と思った。
私も、自分の心の中でいつも反芻している言葉を、外に向けて発せられることが嬉しかった。
自分の命より大切なものができた。
どんなに寝不足がつらくても、子供のすやすやの寝顔をずっとずっと眺めていられる。

私が20年の仕事一色の生活をやめ、一転して子育て一色の生活になったおかげで
彼女との心の距離が一気に近くなった。
子供を持ったことの思いがけない副産物だ。

いやあ、本当に。
じわじわとした感動が身体を駆け回る感じ。
育児に忙しい中、わざわざ直筆でメッセージをくれたことにも心を打たれた。
泣ける手紙。
これからの育児の励みに!

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と16日(「桶谷式母乳育児」に習う・・・その2)

9月13日。二回目の桶谷式母乳教室へ。
前回、初めてのマッサージ&指導後は、赤ちゃんの飲み方が深くなったようで、ミルク補充が
かなり少なくなってきた。前日9月12日は、1回40mlのみ補充。
退院後、母乳だけでは足りない感があり、1日300mlは補充していた。一気にミルクをやめると赤ちゃんの発育が鈍るのでは?と多少の不安があり、なかなかやめられない。

前回、石田先生からは、「もし、母乳後、赤ちゃんが足りないような反応をしたら、すぐミルクを足していいですからね。1日200ml以内にしてみましょうか」とのアドバイスあり。
毎回必ず補充するのはやめ、赤ちゃんの反応を見て、満足してるようなら補充しないように変えた。

そんなわけで、1日1回補充にまで減らすことができたのは嬉しかった。

2回目のマッサージは前回よりは痛くない。
そして、相変わらず、母乳を噴水のように放出してくれた。
「ちょっと冷たい母乳が残ってるわね」と先生。
「それって、古い母乳ということですか?残ってる母乳は絞った方がよいのでしょうか?」と私。
「いや、あなたの場合は搾乳はしなくていいわ。なるべく頻繁に時間をあけず、授乳してね」と先生。

母乳飛び散るなか、てきぱきと指導してくれる。
豆乳はいいのか?牛乳と同じで1日200mlまでならOK・・・などなど、食事に関する疑問も解決。
「なるべく、暖かい飲み物を飲むようにね」とのこと。
身体を冷やさない方がいいのは、妊娠中も一緒。妊娠したい人への注意事項でもある。
やはり、身体は暖めるといろいろ良いことがあるのだな。

次回、木曜に札幌でのラスト母乳マッサージ。
その時、東京の良い先生を紹介してもらうことに。

さて、私のマッサージ後に、急患が来た。
乳腺炎で高熱にうなされ、数日苦しんだ様子のお母さん。
赤ちゃんはちょうど生後二ヶ月。おばあちゃんが付き添いしてきた。
熱のため朦朧として、しかもおっぱいが痛いらしく、母乳マッサージ中も、かなりつらそうだった。

先生は、優しく、丁寧に、今までの経過やかかりつけの病院での対応などを聞き取り、
「大変だったね。がんばったね。どうしようか、今日は専門の病院にこれから行くかい?」
などと、細やかにフォローしている。

乳腺炎になる要因はいろいろあるらしいが、とにかく、あのお母さんのつらそうな様子、
消耗してる様子を見てたら、こっちまで痛くなりそうだった。
痛いだけでなく、精神的に、かなり参っているようだった。
マッサージ後半になり、先生はまさにカウンセラーのようにお母さんの心の中を聞き取り
「つらかったね。泣きたいかい?泣いていいんだよ。産後はみんなそうだからね。いいんだよ」
一緒に泣いてあげるような口調で、慰めつつ、彼女の疲れ切った心身をほぐしてあげていた。

マッサージを受けながら、涙を流し、つらかったこの数日を先生に打ち明けるお母さん。
こういうことを言える場所が欲しかったんだなあ、このお母さん、と思った。
痛いのもつらいし、赤ちゃんの世話もしなくちゃいけないし、高熱で動けないし、
旦那さんはなかなか帰ってこないのか?
・・・1人で文字どおり、悶々と、格闘していたようだ。

乳腺炎・・・。相当に、つらいんだなあ。
気をつけなくちゃ。
しかし、気持はわかる。授乳の日々は、楽しいけど、うまくいかないこと多く、
いちいち、気になる、気に病む。
帰り際に、がんばってくださいね!と、小声で声をかけ、診察室を後にした。
心のケアも含め、普通の病院ではできない、細かな対応がここの魅力なのだろうな。

もっと母乳について勉強をせねば・・・!と思い、先生の本棚の中から
「桶谷式 母乳で育てる本」を借りる。
まだ1ヶ月半だもの。
まだまだ、長い授乳生活。学びを続けよう。

いやあ、しかし、母乳マッサージの威力はすごいです。
なんか、どんどん赤ちゃんのおっぱいの飲みっぷりが良くなってきました。
ありがたや。

2011年9月9日金曜日

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と12日(おっぱいのプロ「桶谷式母乳育児」に習う)

<石田先生からいただいたタンポポコーヒー>

以前から義妹に勧められていた”桶谷式”
樹和のおっぱい満足度が下がってる気がしてきたので、
昨日、急遽、駆け込んできた。

東札幌にある、「石田母乳育児相談室」
先生は助産師の資格も持ってる石田美由紀さん。
電話での対応から、ベテラン、おっぱいのプロな感じが伝わってきていた。
「助産師の研修生が来てますけど、いいでしょうか?」とのこと。

タオル3本と母子手帳を持参し、開業されている石田さんの自宅にむかった。
3人の助産師の研修生が立ち会う中、1人のお母さんのおっぱいマッサージ中。
初診なので、カルテを記入し、樹和をあやしながら待つ。

順番が来た。
診察台に横になり、質疑応答の中、ぐいぐいとおっぱいマッサージが始まる。
たまに「いたたた!」という瞬間もあるが、我慢できる痛さ。
とにかく、おっぱいわしづかみにして、下から横から、どんどんもみほぐしてくれる。

「乳質は悪くないからね。悪いものは食べてないよね。
もっと柔らかくなれば、底の方からおっぱい出るよ」
触っただけで、おっぱいの質がわかるらしい。
乳首もぐいぐい・・・。

そうすると、あれれー???と、
驚くほど、おっぱいが飛び出てくるのだ。まさにおっぱいの噴水!!
私の胸に残っていた残乳が、石田先生のもみほぐしにより、どんどん吹き上がる。
先生の眼鏡には、わたしのおっぱいの水滴ががんがんかかっていく。
先生はもろともせず、マッサージを続けながら、歯切れ良く、母乳指導をしてくれた。

・体重は減らさないように気をつけて。
 (妊婦への体重制限が厳しいことに疑問をもっているようだった)
 ご飯は必ず2膳食べなさい。

・悪いものは食べてないようだから、あまり厳しく食事制限しないけど、
 パン、麺類よりも、ご飯を食べること。
 お肉はたくさん食べるのは良くない。ジンギスカン!とか焼き肉!とかは控える。
 果物は、柑橘類、メロンは乳質を下げるとのこと。リンゴ、なし、ぶどう類はok。
 バナナは詰まるからNG(わたし、毎日食べていた・・・)
 
・授乳はだらだら続けず、左右のおっぱいを5分ずつ、体制を変えて合計4パターン。
 30分で切り上げる。その後、もし足りないようならミルクを補充。
 
そして、最後にがーん!ときた。
「添い乳はだめよ!赤ちゃんが飲みにくいし、おっぱいにも良くない。
ちゃんと起きて座ってあげなさいね。」
最近、夜中はこの”添い乳”に救われていたのに・・・。
母体には格段に楽な体制なのだが・・・。

「添い乳は、お母さんが具合悪くて起きあがれないとき、産後すぐの体調がひどい時だけよ」
とのこと。おそるおそる、わたしも切り込んでみた。
「病院では夜の添い乳を勧められたんですが・・・」と言うと
「まったく、今の病院はどうなってるのかしらねー!おっぱいマッサージもしないで、
そんな指導をして・・・」とあきれ顔。

とにかく、かなり授乳方法に改善の余地有り!でありました。

しかし、マッサージ後の私の乳房、乳首は驚くほどに柔らかくなっており、
ちょっとこれはすごいぞ、と思った。
そして、樹和に授乳するところも見て下さり、吸わせ方が浅い!と言われ、
体制や、クッションの使い方、手の支え方などを細かく、ご指導いただく。
その合間にも、次から次へと、乳幼児を連れたお母さんがやってくる。

これはすばらしい!まさにおっぱいのプロだ!と感動。
通いつめるお母さん方が多いのも納得だ。
来週も2回、マッサージしてもらうことにした。

しかし、おっぱいの噴水には驚いた。
撮影して公開できないのが残念!
どんな世界にもプロがいるのだ。
人の命、赤ちゃんの健やかな成長を左右する、大事な大事な仕事だと思った。
桶谷式は全国にすごい数の指導員がいるらしいが、
助けられたお母さん、赤ちゃんの数も多いはずだ。
ああ、やってきてよかった。おっぱい指導。

最後に、「これ、母乳の出が良くなるわよ」と
西洋タンポポコーヒーのサンプルを下さった。
資料には、腎臓や肝臓の分泌促進、関節症の軽減、
そして母乳分泌促進、とある。

母乳研究、引き続きがんばるべし。

2011年9月7日水曜日

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と10日(乳児湿疹やら抜け毛やら・・・)

<北海道社会保険病院 1ヶ月検診にて>

生後1ヶ月を境に、赤ちゃんにも母親にもいろいろな変化が訪れる。
日々何かが起こるのだが、まめにパソコンに迎えないので、まとめて記録を。

<赤ちゃん>
■変化その1・・・食欲
3週間後ぐらいから、食欲が異常に高まってきた。
3時間おきの睡眠が、2時間、時には1時間半ぐらいで泣きじゃくり、
おっぱいを求めてがっつく。
助産師さんによると、まさに、3週間後ぐらいに、赤ちゃんの成長のピークがあるらしく、
「それが正常ですよー!」と、にこやかに言われた。

■変化その2・・・乳児湿疹
そして、生後1ヶ月過ぎくらいから、顔のほっぺた、あごのあたりに湿疹が出始めた。
つるつるのお肌の間に、ニキビのような赤いぽつぽつ。
「なんで-??」と思い悩み、ネットで「乳児湿疹 原因」を検索する。
生後1ヶ月ぐらいに、油脂分泌がピークになるらしく、よくあることと。
清潔にしておけば、そのうち治る、というコメントが大半。

ただ、急に増えたので、私の食事と関係あるのでは?と思い
「乳児湿疹 母乳」で再検索。
すると、やはり出た。
甘いもの、乳製品(牛乳、チーズ、ヨーグルト)、カレーライス、肉類などを食べ過ぎると
赤ちゃんが油脂を消化仕切れず、ほっぺたに湿疹が出るとのこと。
「ごめんね。みきお・・・」
母親の食べたものが、すぐさま赤ちゃんの身体に影響することを痛感。
確かに、ここのところ、おっぱい活動により常にお腹がすくので、食事の合間に
ヨーグルトやクッキー、牛乳をいつも以上に補給していた。

即日、食事改善。
乳製品はやめ。辛いもの、動物性タンパク質もなるべく控えるようにした。
赤ちゃんの湿疹を見てると、自分の思春期の頃に悩んだニキビを思い出し、
自分のこと以上に憂鬱になる。きれいな肌を取り戻したい!

赤ちゃんはおっぱい飲む時に口の周りにこぼしたり、顔中を自分の手でしょちゅう触るので
思ったよりべたべた状態。
入浴時にきちんと石けんでお顔を洗うと良いとの記述もあり、納得。
1日1回の石けん洗顔+朝晩はぬるま湯のガーゼで拭き、清潔に保つようにした。

以上を心がけた結果、だいたい1週間ほどで、かなり湿疹が消え、きれいになってきた。
赤ちゃんの新陳代謝は見た目よりも非常に活発。
おっぱいの度、お顔の湿疹の数も場所も変化する。
大人のかさかさ肌とはえらい違い。

■変化その3・・・視力
ここ最近、赤ちゃんと目線がきちんと合うようになってきた。
ちょうど1ヶ月少しすぎたあたりからだ。
今日は、ベビーベットの中にある熊のぬいぐるみを、しかと見つめ、
なんだろ?って顔をしていた。
起きている時間が少しずつ延びてることもあり、光のある明るい方向に
目を向け、じーっとにらんだり、眉間にしわを寄せる。
生まれたての視力。
目に映るものすべてが、初めまして!なのだから。


<わたし(母親)>
■変化その1・・・抜け毛
シャンプーの度に、なにやら毛が抜けるなあと思い始めたのが、生後2週間ぐらい。
その後、母乳が増えるにつれ、枕にも髪の毛がよく落ちており、あきらかに
”自分の身を削ってる”感が出てきた。
まあ、このくらいの抜け毛ならいいんだけど。
友人のお母さん仲間から、
「3ヶ月ぐらいから、抜け毛がどっさり増えるよー」と脅された。
ただでさえ、細くて少なめなのに。はげは嫌だなあ。はげは。

自分の身を削って赤ちゃんに栄養を上げる分、母親も相当に意識して
栄養補給せねばならない。母親の健康がすべての源だ。
母なる大地です。

■変化その2・・・筋肉痛
これはもう、おっぱい活動を初めてからすぐに始まった。
1ヶ月経ち、そろそろ力も抜け、慣れてきていい頃なんだけど
赤ちゃんがどんどん重くなるにつれ、抱っこ&おっぱい時の首、肩、腕の負荷が
増え続けているせいか。

元々、腰痛持ち、かつ、パソコン仕事のせいでひどい腱鞘炎をわずらったこともあり。
赤ちゃんの寝入った隙をみて、近くの鍼灸マッサージに通い、なんとか凌いでいる。
まだ体重4キロぐらいで軽い悲鳴。この後、1歳で10キロぐらいに増量するんだから
ちょと、筋トレ?せねばならんな。

※1ヶ月検診の時に、助産師さんになかなか寝ない!と悩みを打ち明けたところ
写真のように抱っこすることを勧められました。
子宮の中にいたときのように、小さく、くの字に身体を折り曲げると
赤ちゃん落ち着くそうです。

■変化その3・・・その他もろもろ
・体重は妊娠前からプラス1~2キロまで戻った。そして、おっぱい活動のため、
いくら食べても太らず。とにかくお腹がすき、のどが渇く。
小児科の先生曰く、
「お母さんは1日800カロリーぐらい奪われてるんですから、
お昼一食分以上、余計に食べないと、どんどんやせ細ります」とのこと。
お腹がすいたら、おにぎり、バナナをつまんだり、深夜に冷蔵庫の残り物をあさる。
成長期の子供のようです。

・帝王切開の傷跡はようやく痛みがなくなってきた。多少のひきつり感があるのみ。
1ヶ月検診後、お風呂も解禁。
横一文字の傷跡はけっこう大きいが、そのうち薄くなるのだろう。

おまけ。
妊娠線はおへそ付近から縦にしっかり残っている。
まあ、いまさらビキニの水着を着るわけじゃあるまいし。気にならない。

ブログというのは、日記のようなものだから、本当は日々のこと、日々書きたいのだけど
樹和(みきお)から離れて落ち着いてパソコンに毎日向かうことがなかなかできず。

でも、地元、町田市民病院のお母さん仲間から、
「ブログ見ましたよー。励みになりました」、とメールが入ったので、
私と同じように、赤ちゃんの発育の日々と格闘している仲間が見てくれると知り、
俄然、やる気が出てきた。
少しでも、がんばって更新しようと思う。

やはり、これ、実体験してる人同士にしか共有できない悩みなんだな。

2011年9月2日金曜日

42歳からの子育て・・・生後1ヶ月と5日(私にもマタニティブル-が・・・)

9月に入ったのに、珍しく札幌もまだ暑さが残る。
8月26日の一ヶ月検診のあとも、樹和(みきお)は日々、丸くなっていく。
睡眠時間の代わりに、おっぱいに吸い付く時間が長くなっている。
赤ちゃんの成長のスピードは驚くべきだ。

ところで、一ヶ月を振り返り、書き残しておきたいことが一つ。
出産関連本に必ず書いてある、マタニティブルーということば。
出産後にホルモンバランスが崩れ、なんだか落ち込んだりいらいらすることがあるとのこと。
ひどい場合は、産後うつにもなりかねないらしい。

精神的にはタフだと思っていたが、私にもマタニティブルーがあった。
出産後すぐ、母子同室になり、赤ちゃんへの授乳活動が始まり、
慣れないこともあり、極度の睡眠不足に。
身体がふらふらでも肉体的には落ちなかったが、メンタルには少し”キレテイタ”

どんな風にか。
ちょっとしたことにいらいら。
たとえば、母に2リットル入りのミネラルウォーターを頼んだところ
小さなハンディサイズのペットボトルを買ってきた時など。
普段なら笑ってすませること。なんてことないのに、なんとも我慢ならず、
「授乳中はすごくのどが渇くの。だから大きなボトルじゃないと間に合わないのに!」と
いらいら・・・。ひとしきり文句を言ったりした。

そのいらいらが、退院後も続いていた。
今となっては、母には詫びるしかない。
どうにもこうにも、小さな些細なことに我慢がならなくて、
いちいち、母にあたっていた。

ずっとぐずぐずむずかる樹和を必死にあやしていたところを
母が心配で、覗きにきてくれたのにも我慢がならず。
「近寄らないで!」と怒鳴ったりした。

母が「わたしもお兄ちゃんの赤ちゃんの時は大変だったわ」などと
育児に悪戦苦闘しているわたしを慰めるような言葉をかけてくれたりする。
それがどうにも気に入らない。
「黙ってて。おっぱいを上げてるときに、邪魔しないで!」

そんな日々が1ヶ月。
つい最近になって、この”いらいら”がなくなってきた。
すこしずつ、授乳活動になれてきたこともあるが、
これって、育児本にある”マタニティブルー”だったのかも・・・と思った。
きっと、ホルモンバランスが崩れていたのだ。
理性的になれない、いつもと違う自分だった。

うまく治らない場合、育児ノイローゼとか、産後うつ、などにもなりかねないのだろうか。
けっこう、怖いものだなと思う。
自分とは縁のないものだと思っていたが、”マタニティ-ブルー”
今は平静に戻れたからこそわかる。

あれは、マタニティブルーだった。

里帰りしてから、早2ヶ月過ぎ、母には家事全般、赤ちゃんのケアまで
甘えっぱなしの日々が続いている。
東京に戻る前に、きちんとお礼とお詫びをしないと。
私、あれはマタニティブルーだったのよ。ごめんね、と。

昨日9月1日は母の70回目の誕生日だった。
いつものことだが、心ばかりのプレゼントの花束。
オレンジ色のバラ、白いトルコ桔梗。
いつもありがとう。
そして、おめでとう!お母さんの思いをこめて。