一昨日満3歳を迎えた。
ところで、このブログ
いつまでも、タイトルが、42歳からの子育てだが、
当然、わたしも三年分、齢を重ね、45歳。
9月に46歳になる。
新しい幼児教育の仕事現場は想像以上に身体に堪える。
短大卒20歳。ふた回り以上も若い同期入社の先生と同じように動けるわけがない。
今日は、久々にかかりつけの表参道の鍼灸へ。腰痛治療ほかもろもろ気分転換など。
アキュラ鍼灸院の除院長、脈を診ながら
「宮本さんのブログを見て、またお一人来ましたよ」
こんな怠けブログだが、まだ、頼りにしてくれている方がいて、
素直に嬉しい。
高齢出産を目指してるアラフォー女子の
ほんのささやかな光になれば、と書き始めたこのブログ。
ようやく3歳になる高齢出産、高齢育児ど真ん中の心境を書こうと思う。
来院してくれたKさん。
赤ちゃんを授かりたいと、もっと前向きな気持ちになってくれたらと。
3年前に産声を上げた時には、3051グラムのやせっぽちだったが、
3歳になり、身長97.7センチ、体重15.6キロに成長し、
とにかく、なんでもよく食べる。大人一人前にかなり近い量をたいらげる。
保育園での褒め言葉の大半が、「よく食べるみきおくん」
せっかくモンテッソーリ園なので、お仕事、どんな活動したか、とか
報告してほしいなんて期待するも、そんなコメントはほとんどお目にかかれない。
あまりやってないのかね。
ま、いいか。
よく食べて、よく笑い、お散歩大好きで、緑の中
お花や木の実をひろったりダンゴムシ捕まえたり、
ダダに付き合い、畑でトマトやとうもろこし、カボチャに
水やりしたり、ミミズを見つけて、引っ張り回したり、
歌が好きで、替え歌も作るし、とにかく毎日楽しくて仕方がない。
「トマトってかわいいなまえだねー、上から読んでもトマト、下から読んでもトマト…」
夜寝る時の子守唄にも、毎晩「トマトの歌」をせがまれる。
これだけは自慢してもいいだろう。
近所の薬師池公園の池にいた亀を見つけて、なんと言ったと思いますか?
「あ、カメさんだ。カメさん、美味しそう。カメさん食べたい!」
それを聞いた父親のイチロウ。
「お、みきお。そうだな!カメ美味そうか?カメはなあ、うまいぞー!」
「みきお、こんど、カメ食いにいこいうな! ね、なーこ、行こうね!」
大抵のことはおおらかに受け止める質のわたしだが、
公園の池のカメを美味そう!とか、食べたい!と感じる感性を持ち得ない。
どうしても共感できずに、無言でただひたすら聞き役に回った。
環境のあらゆるものを吸収する幼児期。
我が家の環境、わたしやイチロウの生活習慣、価値観、
おしゃべり、交友関係、家の中の(自分らにとっての)適度な乱雑さ
すべてを無意識に吸収し、取り込み、自分の身体の一部にする、
(by モンテッソーリ理論)
子どもの笑顔って、ほんとに、キラキラした宝物だ。
みきおは笑顔がたくさんの子どもで、現時点では、
それが本当にいいところだな、と太鼓判を押せるとこだ。
くるくるよく笑い、よくふざける。
お得意の、おっぱいの歌を歌いながら、わたしのTシャツの首元から
おっぱいをまさぐる。
「だめ!おっぱいはもう卒業したでしょ!」
母親のスキンシップを求めているのはよーくわかるんだが、
もう単純にくすぐったくて困るのである。
そして
もうお母さん、疲れているから、さっさと着替えて、さっさと歯磨きして
さっさと寝るよ!・・・と、
大人の都合で子どもをひっぱっていこうとしたい気持ちになってしまうのである。
すると、決まって言う。
「お母さん、笑って!・・・ねえ。お母さん、笑って!」
んなこと言われても。
どんなしかめっ面をしているのか?
自分ではわからない。
しかし、おそらく、子どもにとっては、
非常に嫌な顔、見たくない表情であるには違いない。
わたしも小さい頃、母のしかめっ面が嫌いだったのをふと思い出す。
夕刻、仕事から慌ただしく帰宅し、息も整えぬまま、猛然と夕食の支度をする。
その合間に
「なこ。ピアノは練習したの?!」
と怖い顔で睨まれる。
いきなり、帰ってくるなり、怖い顔しないでよね!
仕事で疲れて八つ当たりしないでよね!
仕事と3人の育児とを一生懸命に両立していた母親の苦労や苦闘を
なにも理解せず、とにかく、その怖い表情の母を嫌った。
なんだ。そうか・・・。
やっぱり、知らず知らずに
怖い顔の母親を吸収して育ったんだな。わたし。
いきなり、親の責任にしたりするか。
とにかく、子どもは、
たくさんの笑顔とあたたかい温もりで抱きしめて欲しいのだ。
母親のいなかった時間に頑張った、我慢した、寂しかった、
いろんな気持ちをぜんぶ受け止めて欲しい。
その気持ちが、うちのみきおの場合には
「おっぱい!おっぱい!」と表現される。
まさか、おっぱいを飲みたいわけじゃない。
おっぱいと連呼したり、おっぱいを触ることにより
母親と近づきたい。母親のいなかった時間を埋めたい、要するに
甘えたい、ってことだ。
「お母さん、笑って!」と日々、子に要求される、昨今のわたしの疲労度はいかに・・・。
アキュラ鍼灸院の院長は、
「うーん。すこし疲れてますね。新しい職場だから。
でも、以前みたいな、めちゃくちゃな状態じゃないですよ」
「まだまだ、十分、妊娠できますよ」
院長は年齢は関係ない、と私には言い切る。
健康ならば、49歳までは妊娠できる、というのは、古くからの中国の言い伝えだそうだ。
絶大な信頼を寄せる、院長の一言。
とはいえ、それはどうかわからない。
神のみぞ知る世界だろうが。
しかし、素直な気持ちは動く。
子どもは何人いてもいい。
もっと子どもを産み、育てたい。
こんど女子に生まれたら、
20代から妊娠して、10人ぐらい生み続ける
昭和初期の子沢山母さんになってみたい。
そんなわけで
なにを言いたかったかというと、
子どもを授かり、育ててみて思うことは、
子どもって本当に宝なのだ。
42歳で自然妊娠できたことには、心から神様に感謝する。
と同時に、
もっと早くに産んでおきたかったという思いが確実にある。
30代後半、あんなに飲んだくれて、働き詰めで、身体を酷使して、痛めて、
もっと大事にしないといけないのである。
女は産む性なのである。深夜残業は禁止とされた時代の常識は
ある意味正しかったと、私は断言する!
夜の1時、2時まで飲み屋でクダを巻いているバヤイではなかった・・・。
いまさら、の、女の本能なのか。
なので、このブログには、
40歳過ぎても諦めないアラフォー応援歌 的な思いだけでない
わたしなりの率直な考えを、綴っておるのであります。