2011年7月17日日曜日

40歳からの婚活(その4)・・・型破りな娘の晩婚を祈る老父

2009年元旦。家族そろってお正月のおせちを囲む。
徐々に弱っている祖母を見ながら、なんとしても今年こそは
結婚の報告をしなければなあ、、、と、婚活の目標設定を1年延期。

そして1月某日。仕事始めに向け、東京に戻る支度をしている私に、
初めて、父親までが重い口を開いたのには驚いた。
「そろそろ、いいなと思う人がいたら、連れてきなさい」

東京に上京して約20年。
母や祖母からの結婚への期待は幾度となく聞かされてきたが、父は何も言わない人だった。
それだけに、よほどの思いが募ったのだろう、と、年老いた82歳の父の白髪頭をまじまじと
見つめてしまった。そして、心の中で、「ごめんなさい。ご心配かけております・・・」と陳謝。

母がこっそり耳打ちしてきた。
「あの子は型破りな娘だから、普通のサラリーマンとは合わないのだろうね、とお父さんは
心配していたわよ」

ふーん。
「型破りに育ててくれたのは、あなたですよ、あなた!」
「そして、私は正真正銘のサラリーマンなのだけれど・・・」と、心でつぶやく。
しかし、父の心配はなんか、分かる気がした。

父はこれまで、私の進路について、とやかく注文をつけることはなかった。
むしろ、父の本意とは違う方向に進んだ娘を尊重し、
自由に、のびのびとやりたいことをやらせてもらった。

たとえば、本当は父の好きな優雅なバレエを習わせたかったらしいが、
私は格闘技の試合の緊張感にあこがれ、高校時に空手部に入部。

できれば北海道に止まり、医者になって欲しかったらしいが、
部活の空手に夢中で勉学が追いつかず、私立文系コースに進路変更。

東京の大学に行くことは反対しなかったが、父が推薦したのは、
聖心女子大学、そして学習院。

「この私になぜ?聖心女子大を薦めるかなあ・・・」
なよなよしたお嬢さん大学になんか、私は一切興味はなかった。

その後、運良く、大学に合格し、バンカラな校風の早稲田の入学が決まった時から
父は、娘が自分が願っていたような、優雅な娘には育ってないことをようやく理解したようで、
大学4年間、音楽サークルでドラムを叩いていたことにも、
その後、一流企業の内定を断り、名も知らぬ小さな出版社に就職することを決めたことにも
強くは反対はしなかった。

その後の型破りな娘の行く末を、おっとりお殿様体質の父はひそかに案じていたのだろう。
40歳にもなり、いまだ未婚の娘が東京に帰る間際に、今までずっと口に出さずに
心にしまっていた言葉がついに出たのだ。

なんか、妙に心に沁みた。
あの父に、「いい人だなと思ったら、連れてきなさい」と言われた。
もう、家柄やら、肩書きやら、学歴やら、年収やら、そんな要素を望む時期はとっくに逸している。
・・・と、うちの父も悟っているんだと思った。

わたくしも!
大変に遅ればせながら、そう思います。

レッツゴー!婚活。ソーナチュラル!
色眼鏡をとって、自分が素直に、いいなあ、って思う人を探そう!

さてと。
そんな老父からの後押しも受け、2009年、新年度の婚活は始動した。

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