2011年7月25日月曜日

40歳からの子作り(その5)・・・42歳3ヶ月で自然妊娠。

<自宅の裏山>
2010年12月24日クリスマスイブ。
四谷の産婦人科。エコーで小さな小さな胎児の原形が見えた。6週過ぎ。
心拍も確認でき、「今度は大丈夫そうですね」とお医者さん。

こんなに早く結果が出るとは予想もしなかった。
赤ちゃんは私の決意を待っていてくれたんだな、と思う。
仕事を辞めなかったら来てくれなかっただろう。
妊娠にはストレスが大敵だとよく言う。
不妊治療自体がストレスの原因になる場合もあり、治療を辞めたら
ぽこっと自然に授かったという話もよく聞く。

5月に流産した時、どうやって仕事と両立していこうかと一瞬悩んだ。
幼少時代から、女性も当然のように仕事を持ち、そして家庭も育児もこなすイメージだけを
追いかけてきた。でも、42歳という年齢、事業の責任者という立場から、
その理想を追求するのは無理だ、身体が訴えた。
仕事に全力投球できなければ、組織に迷惑がかかる。
自分にしか出来ない、などというおこがましい考えは毛頭なかったが、どこかで
仕事のキャリアと家庭の幸福の両立、という理想に自分自身が縛られていたのかも。
知らず知らず、いつも緊張しながら、気が休まらない仕事優先の日々を過ごしきた。
がむしゃらに頑張ってきた。

”一回、肩の力を抜く”、という道に導いてくれたのは、子供を授かりたいという母性であり、
女性本来の本能だった。仕事脳にまみれていた20年間から解き放たれて、
一気に身体の中に激変が起き、空から天使がふわっと舞い降りてきた感じ。

赤ちゃんの心拍を確認できた瞬間、
「ああ、神様から授かった」・・・と。
心からそう感じた。

40歳で結婚。子供を授かりたい一心で、不妊治療の専門病院の門をたたいたり、
様々な専門図書を読みあさったり、同じ悩みを持つアラフォー女子の友達とも
たくさん情報交換もしてきたし、ネットで「高齢 妊娠」を検索したことは数知れず。
最初の千駄ヶ谷の医者からの「宝くじに当たるようなもの」というネガティブな診断から始まり、
体外受精でも40歳以上の妊娠確率はどんどん下がることや、高齢者は流産する率も高いこと、
そして、実際に流産してしまったこと。

でも、私が最後まで支えにしていたのは、実は、自分に都合のいい、楽天的なコメントや経験談の数々だった。

神奈川の池川クリニックの院長が「今年中に赤ちゃん来ますよ」とダウジングで予想くれたこと。
表参道の鍼灸の院長がお腹を触りながら「あなたならすぐに授かりますよ」と言われたこと。
体外受精を何度もトライしてだめだった47歳女性が諦めかけた時に自然妊娠したという逸話。
45歳で自然妊娠にこぎつけたジャガー横田の経験談なども、万に一つの希望として、
自分にも訪れてくれるだろう、という明るい光をくれた。

会社の元同僚で既に3人の子持ちのKさんは、流産後にも、こういって励ましてくれた。
「大丈夫。きっとまた授かるよ。
流産したあと半年後、1年後に赤ちゃんを授かった友人が何人もいるよ」

帯広の友人のJさんは、「天使再来セット」というかわいいメッセージカードと
十勝の小豆を送ってくれた。小豆は女性ホルモンにとてもいいんだよと。

弟夫婦は、絶えずポジティブなアドバイスをくれた。特に、義妹は、
「お姉さんにはつらい決断だと思いますが、仕事量を減らすことが最終的な壁ですねと」と
的確な指南をしてくれた。

妊娠・出産、という超プライベートなことではあったが、家族や近しい友人と悩みを分かちあえたことは最後まで本当に心の支えになった。
もちろん、夫は常に絶対的に寄り添ってくれた。
仮に子供を授からなくても、私たち2人の楽しい人生がある、という気持ちでいられた。

そして、装丁がぼろぼろになるほど、何度も読み返した私の心のバイブルは
「赤ちゃんがほしい!」(沢田喜彰先生著/永岡書店)
この先生は、「不妊の9割は克服可能」と説き、「今の不妊のほとんどは、健康管理の悪さと不摂生な日常生活が背景にある”機能性不妊”」。生活習慣・全身の健康と不妊の関係を強く指摘している。そして、安易に最先端の治療を試みるまでに、また「自分立ちにはムリ」と諦めてしまう前に
足下の自分の健康のベースを取り戻す、という、基本的な不妊解決のアドバイスが書かれている。

私はこの沢田先生の考えを徹底的に信頼した。
残念なことに、この本に感動し、受診しようと電話をかけた時、すでに沢田先生は鬼籍の人だった。
対応してくれた目黒の沢田クリニックのスタッフから「1ヶ月前に先生は亡くなりました。いまクリニックは診察しておりません。でも、先生の本を実践して、ぜひがんばってください」と穏やかな口調で言ってくれた。

このバイブルには、何年もの高度不妊治療では結果がでず、最後にこの沢田クリニックを訪れ、
毎日の食事や生活習慣の改善、徹底的に歩く指導に従った結果、45歳で自然妊娠した人の逸話もあった。わたしはこうした経験談をずっと心の傍らに、希望を持ってきた。

そして、妊娠するプロセスは奇跡の集積。
最終的には、科学を超えて、人智を超えた世界だとも思っていた。
赤ちゃんはお母さんを選んでやってくるという、池川クリニックの先生の考え方にも共感した。
妊娠する=自分の努力だけで成果を求められる、達成させる、というたぐいの”仕事的なこと”ではなく、まさに”授かりもの”なんだと感じていた。

42歳過ぎ、再び赤ちゃんを授かることができて、心から、この恵みに感謝した。
・・・と同時に、健康に産み、育ててくれた両親に感謝した。
そのベースがなければ、このような恵みは訪れなかっただろう。

同じく40代で妊娠を望んでいる友人たちにも、一筋の光になればと思った。
また、20代、30代の若い世代の後輩たちには、”生む性”として、自分の身体の健康管理の大切さを伝えたいと思った。子供が欲しいと願う人には、”妊娠に適した年齢”を今から意識して欲しいと、切々と語った。

20年、身体を酷使し、仕事が終わらないうちは深夜何時でも帰らない、帰らせない!といったごりごりの指揮官体質だったがむしゃら私が、今さらながら、の、考え方の大転換。
”生む性”である女性は、身体を壊すような仕事の仕方は絶対にしてはいけない。
そういう会社組織や社会の体質を変えないといけない。なにより、自分で自分の大事な身体を
しっかり守る”自衛本能”を持たなければいけない。

がつがつ仕事する姿しか見せてこなかったので、急にそんな真逆のことを言い出す私に首を傾げる仲間、後輩もいた。

42歳過ぎ、遅ればせながら、私は自分自身の”母性”にようやく、ようやく目覚めた。

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