2011年7月16日土曜日

40歳からの婚活(その3)・・・アラフォー女子の欲張りな婚活

最愛の祖母から「あんたが結婚しないと、死んでも死にきれない!」と泣きつかれて、はや数年。
結婚しよう!結婚したい!という気持ちは大いにありつつも、30代後半、アラフォーに突入してからの日々は、相変わらずの、仕事三昧だった。

2008年春。39歳最後の年。会社はある事業のトラブルが発端となって経営危機に陥り、創業以来初めて、やむなく早期退職者を募る・・・という緊急事態になった。経営幹部の端くれとして、経営再建のための様々な対策に奔走し、毎日深夜まで働き詰めだった。

運命の人(=今の夫)とは、こんな多忙な最中に出会う。
信頼する会社の先輩からの仕事の引き継ぎ。
「変わった人だけどあなたなら大丈夫」と言われ、紹介された。

最初の印象・・・「なにか、心に深い溝を持ってそうな危うい人」
とにかく、忙しい時間の合間に設定した打ち合わせだったので、
ささっと簡単に挨拶をして、時間を気にしながら早口で必要な質問をし、
「では、またこんど・・・!」って感じで、とにかく慌ただしく、私は先に席を立った気がする。
・・・てなわけで、あちらの私の印象は、「なんて慌ただしい人」

早口で慌ただしいのは、私の性分。まあ、今もそう変わらないとこだけど。
当時はさぞかし、通常より、さらに輪をかけてひどい立ち振る舞いだったと反省する。

決して好印象ではなかったものの、彼が持ち込んだ企画が私の興味に大いに一致したこともあり、
その後、仕事に発展し、定期的に会うことになる。

「12月末までに結婚相手を決める!」という39歳ギリギリの目標設定中に現れた危うい人物。
9月に初めて会って、会社での打ち合わせ、仕事仲間も交えての夕食などを経て、
だんだんに彼の人となりが見えてきた。

とにかく声が大きい。エネルギッシュで、止めないとずっとしゃべっている。
身体も大きいが、とにかく、なんというか、その長時間トークには驚いた。
送ってくるメールもとにかく長い。酔っぱらった勢いで書いてくるメールは宇宙の話やら
環境問題やら、これまた奇想天外。久々に会う、好奇心旺盛な変わった人物だった。

私は父が変わった人だったこともあり、”変わった人耐性”が、かなりある方だ。
たいがい他の人が困惑するような変わった人、変人でも大丈夫。
いや、むしろ変わってる人を好む方かもしれない。
多少、枠をはみ出ているぐらいの人が好きだ。
枠の中に収まってる人はつまらない。

・・・彼と会い、そのエネルギッシュな弾丸トークと接しているうちに、だんだんと
変わった人耐性=変わった人好きの自分に、どうやら気がつき始めたようだった。
この人といると、なんだか妙に楽しい、と。

年末に近くなり、仕事が発展しくにつれ、かなり頻繁にメールのやりとりをするようになっていた。
その内容の奇天烈さ、にも、異常な頻度にも慣れ、その会話が心地よくなっていった。

結婚相手として意識していたか?というと、ほんの1%ぐらい?片隅には存在。
しかし、頭では大きく否定していた。だって・・・。

「結婚相手には向かないから、やめときなさい」
彼をよく知る同僚の女友達からのアドバイス。
その女友達曰く、アーチスト気質全開の人。一緒に生活ってタイプじゃないでしょう、とのこと。

たしかに、彼のバックグランドがその不安を物語っていた。
バツ2(離婚歴2回)、子供2人(前妻がひきとる)、フリーランスのカメラマン、しかも49歳。
これだけ聞いただけで、誰しも結婚相手には薦めない要素満載。
私も、彼と一緒にいるのはとても楽しい、こんなに話があう人もなかなかいない!と思いつつも、
頭の中で、彼のバックグラウンドが離れず、結婚相手としては”NG”・・・!を出していた。

・・・なので、彼との楽しい仕事の企画ばなしの傍らでも、せっせと、頭の中でOK!を出せそうな
相手探しの婚活をしていた。

39歳にもなって、欲張りな婚活をしていた、と今更ながら思う。
仕事がつがつのまま、独身できてしまった39歳。楽しくて気が合う相手が見つかってもなお、
世間的にいう、”結婚にふさわしいバックグラウンドを持った男性”を探していたわけだ。
離婚歴や職業の安定性、年収、年齢など、、、まあ、せめて30代前半の女性なら
求めてもいいかなと思われる、結婚相手に求めるいわゆる社会的要素?=バックグラウンド。

なんて、身の程知らずだったか、と思いますね。
アラフォー女子は、こんなことにこだわっていては一生結婚できませんね。

自分をよく鏡で見なさいと言いたい(過去の自分で今の自分が!です)

そのバックグラウンドがどれほど重要なのか?も、
本来ならば、賢いアラフォー女子は分かっていなければならない。
職業やら、離婚歴やら、年収やら、年齢やら、そういうことは取っ払っても
「あの人は素敵」と思える、認められる力が備わっててこそのアラフォー女子。

そして、自分は仕事を持ち、自立して生活してきたわけだから、
結婚相手に求めるのは、そんなバックグラウンドじゃないってこと。
自分の興味や、考え方や、将来の夢、生活の今後について、楽しく語り、
なにか一緒に寄り添って作っていけそうな、1人じゃなくて、2人だからこそと思える、
そんな人生のパートナーが欲しいんだろうって。

社会から、世間からの色眼鏡。親の色眼鏡。
自分自身の色眼鏡も取っ払えると、晩婚ゆえの理想的なパートナーが見えてくる。

私はそんなことに、2008年12月末まで気がつくことができず。
欲張りな婚活から目が覚めずに、自分との約束の2008年を終えてしまった。

2009年1月正月。今までになく、暗澹たる寂しい新年を迎えた。
「あー、結局、相手を見つけることができなかった・・・(ばあちゃんごめんなさい)」

どうする?2009年。
40歳のお正月。
両親は、もはや不憫であまり触れない?といった感じがひしひし。
しかし、祖母からは相変わらず、結婚への詰問が続いていた。
すでに、認知症気味で、意識がまだらになり、89歳の高齢になってまで
唯一気にかけていたことは、私の結婚だったのだ。

祖母のためにも、自分のためにも、結婚相手探し・・・、がんばろう。
力なくも、また新年に誓いをたてた。

0 件のコメント:

コメントを投稿