2011年7月21日木曜日

40歳からの子作り(その3)・・・妊娠力ってなんだ?

妊娠したいと望んでいるアラフォー女子の悩みは深い。
婚活もそうだけど、子作りに関しても、思い切って友達や医者に悩みを打ち明けることで
思いがけない情報や、いろんな経験値に出会える。
なかなか表立って話せないことが多いナイーブなテーマであるがゆえに・・・だ。

つい最近、表紙に「妊活」と大きく書かれた女性誌を書店で見つけた。
妊娠活動・・・?
ちょと無理のある造語だけど、でも、そうやって改めて書かれると、婚活と同じように
自分の考えや価値観を見つめなおし、身体の状態を把握し、ゴールに向けてやるべきことに
時間を意識しながら、しっかり取り組んでいかないと達成できない、ある意味での活動だと思った。

私が、「ここの鍼灸治療の先生にすがろう!」と思えた時、自分は子作りに関して、
どういう姿勢で望みたいのか?がはっきりしてきた。
そして、それは二人でとことん話し合い、相談し合ってきた、夫婦としての結論でもあった。

すでに41歳になっており、時間的にも体力的にも楽観的な状態ではない。
でも、できれば授かりたい。
自力で努力できる範囲のことは、全部やってみよう。
ただし、多額の治療費のかかる高度不妊治療には手を出さない。
もし授からなかったとしても、そのことを夫婦で受け止めよう、と。

婚活にも子作りにも、その人の考え方、価値観が大きく影響する。
良い悪い、正しい間違っている、ではない。
なにを選択するかなのだ。
その選択は自己責任であり、
最終的にはすべて自分で受け止めるしかない。

2009年秋に表参道の鍼灸治療院に通い始めてから6ヶ月あまりたち、2010年3月頃。
基礎体温のリズムが安定的になり、低温期と高温期の境目が
はっきり出るようになってきた。
週1回の治療に加え、毎日、自宅でも徐先生の指導のもと、お灸を据え、
これまでの食事療法、生活改善、毎日のウォーキングなども地道に続けた。

「すごく良くなってきましたねえ。脈の状態がとてもいい。お腹の冷えも
とれてきました。そろそろ天使がくるような気がしますよー。」とのこと。
この鍼灸治療院では、なんと通院して半年の間に妊娠する人が約6割。
1年以内だと、約8割の人に妊娠の朗報が出ているという。

「私は41歳ですけど、他の方はどうですか?」と聞くと、
「うちは、多くの患者さんが35歳以上で、40歳以上の方も半分ぐらいいますよ」という。
そして、その多くが東京都内で忙しく仕事をする、いわゆるキャリアウーマン。
徐先生からが患者さんに指導する中で、なかなか改善してくれないことの一つが、
”睡眠不足”、だという。

「みんな、子供が欲しいと思って高い治療費を払い、ここに来てくれるんだけど、
毎晩遅くまでハードに仕事をして、疲れ切った身体の人が多いんですよ。
そんな夜遅くまで起きてる身体は、血流も悪いし、身体中にコリが残る。
妊娠力を高めたいならば、早く寝ることがとても大事なんですけどね」

ハードワークのアラフォー女子は、忙しいことを理由に、女性ホルモンに大事な
睡眠をないがしろにしている。東京の女性は働きすぎです、という。

私も、この徐先生に指摘された、働き過ぎのアラフォー女子の典型だった。
深夜まで働いている、または外食していることが当たり前。
家に着いて、眠りに就くのは、だいたい1時過ぎ。

「せめて、12時には寝て欲しい」と徐院長。
女性ホルモンの機能活性は、10時~2時に行われるらしく、その時間に眠っていることが
とても大事だという。これは、一般的な女性医学の本などにもよく書かれており、周知の事実だ。
頭ではよく理解している。あとは実行するだけ。

2008年の経営危機以後、私はぴあ子会社の役員として、新しい事業の開発・推進のリーダーとして10数人のメンバーの組織を預かっていたが、結婚後は、子作りのためにも、また夫婦の大切な時間を作るためにも、これまでのように平日毎日の深夜残業、外食という生活を改め、極力、夕方までに仕事を終わらせ、健全な時間に帰宅するよう、大きく時間の使い方を変えてきた。

健全な時間、とは、だいたい8時~9時ぐらい。
毎日とはいかないまでも、週に半分は自宅で食事をする。・・・働きばちだった自分としては、大幅な仕事時間の改善だった。そして、徐院長の助言をうけ、睡眠改善も少しずつ意識して行った。

2010年5月連休の初めのこと。
徐院長の予言から1ヶ月あまり。
生理が遅れ、妊娠検査薬の結果が「+」(プラス)と出た。

「なんと、本当に!?」
こんなに早く結果がでるなんて。
予言通り、空から天使が来てくれた!
徐院長の見立てはすごい。
夫婦2人で、大喜びだった。
お互いの両親にも報告。
出産までの仕事のやりくりなどを考え始めたりしていた。

しかし、喜びもつかの間、連休明け。
仕事に向かう途中で調子が悪くなる。
・・・そして出血。
血相を変え、慌てて産婦人科に駆け込んだ。

「切迫流産ですね。なんとかぎりぎりまだ受精卵はあるけど・・・。
うーん。とにかく安静にして、様子を見ましょう」

医者からは仕事も家事も一切休み、自宅安静するように指示された。
ホルモン注射や投薬の効果で出血は多少収まりつつあったが、下腹部がちくちく痛み、まともに歩けない。仕事どころではない。やむなく、上司や一部の部下には事情を話し、大事な仕事の約束などもすべて任せ、自宅で静養。

日に何度か仕事の相談で会社からの電話やメールが来る。
仲間に申し訳ないと思う気持ちと、お腹の赤ちゃんがどうなってしまうのか不安で不安でたまらない気持の両方が押し寄せ、普段はめげないタフな私も、気がふさんでいった。

そして残念ながら、2週間安静の甲斐無く、5月半ば、9週目で流産と診断された。
「うーん。赤ちゃん育ってないですね。これ以上は難しいと思います」

もう少し様子を見ると変化があるのでは?と、涙をこらえながら先生に万が一の
可能性をすがりたかったが、でも、手元にあるエコーを見たところ、
素人目にも、これは駄目なんだろう、ということが、はっきりと、分かってしまった。

近くの喫茶店で診察結果を待っていた夫。
「だめだった」・・・と言うと、同じように、大きく顔を曇らせた。
天使はまた空に帰って行っちゃった。喜びから一転。身体中が凍ってしまいそうだった。

しかし、夫は励ましてくれた。
「でも、一歩前進したよね。自然に妊娠できると確認できたんだからね」
また、赤ちゃんは来てくれると言ってくれた。
この半年の地道な努力・治療のおかげで、妊娠力がアップしたことは確かだ。
次に希望をつなげよう・・・。
そして5月末の手術の後、供養と自分自身の心を鎮めるために
秩父の今宮神社にお参りにいった。

初期流産は実はかなりの確率で起きることだ。
40歳以上の高齢であれば、30%~40%近い確率とも言うらしい。

そして、流産したことを打ちあけた時、
「わたしも経験してるんだよ」
「知人でも流産後に、また授かった人がいるよ」と多くの友人に励まされた。

実の母親なぞは、
「私は2回も流産してるから、大丈夫よ」と明るかった。
娘の私も知らなかった。
こうして、表に出ないけれど、流産という悲しい事象が多くあること、
確率的に必ず発生してしまうこと、を知り、妊娠・出産に至るまでの
自然の摂理、淘汰を、女性は受け止め続けてきたのだなと、しみじみ思った。

天使の再来を願いつつ、仕事に復帰を始めた。

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