2011年7月26日火曜日

42歳からの妊娠・出産・・・(妊娠前期) つわりの中、退職準備


<自宅の庭の雪景色>
2011年年明け。1月7日妊婦検診。9週3日、胎児は22.1mm。
「順調ですね」と町田市民病院の女医さん。
流産経験のある人はみんなそうだろう。とにかく、初期流産が怖い。
心拍もあり、経過は順調と知り、ふーっと息を吐く。

渋谷の職場には1時間半近くかけて通っていた。
都会暮らしに疲れ、昨年秋、緑の多い町田の田舎に引っ越した。
ありがたいことに、妊娠前期にありがちな吐き気などの重いつわりはあまり無かったが、
朝の通勤ラッシュはつらかった。そして、たまに強烈な眠気に襲われる。
2月初旬をめどに、取引先への挨拶など、仕事の引き継ぎ業務に追われた。
退職することで、ただでさえ、上司、仲間、部下には迷惑をかけている。
これ以上の余計な心配材料は与えたくなかった。
妊娠したことは一切報告せずに乗り切りたかった。

表参道の鍼灸院には通い続けた。徐先生曰く、
「今回は大丈夫ですよ。妊娠脈もしっかり出ている。
12週を過ぎれば安心ですね」と言ってくれた。

妊娠脈・・・。妊娠した後、手首の内側にはっきりと現れる強い脈のこと。
とにかく不安だったので、気がつくとこの妊娠脈を確かめる、習慣がついた。
妊娠するまでに、徹底的に食事や生活改善、日々のウォーキングを続けてきたおかげか、
多少のつわり・眠気はこらえつつ、多忙な仕事の引き継ぎをなんとかこなし、
1月末の12週目を無事に迎えた。

これまでの20年間、様々な部門で社内外の多くの方々との関わりの中、忘れがたい案件を
たくさん手がけてきた。退職の挨拶、後任の紹介の行脚をしつつ、とにかく一生懸命、
ひたむきに取り組んできた日々が愛おしく、思い出され、そして、
多くの失敗、失態の中、仕事人として成長させもらったことを感謝した。

近しい仲間からは、
「仕事人間だった人がいきなり辞めちゃったら、寂しくなるんじゃない?」なんて言われたけど、
今まで馬車馬のように全力投球したきたからこそ、ちっとも悔いは無い。
思った以上に晴れやかな心持ちで、すべてを後進に譲ることができた。

流産の危険性のある妊娠前期は15週まで。
あと1ヶ月弱をなんとか乗り切りたい・・・。
毎日、祈るような気持ちで、職場と家の長距離を往復した。

2月始め。仕事の引き継ぎが完了。
3月末退職までは、溜まりに溜まった有給休暇を消化させてもらうことにした。
明日から休暇に入るという前日夕刻。
職場の仲間達が、大きな大きな花束で見送ってくれた。
「飯田さん。長い間、本当にお疲れ様でした。改めて3月末に送別会はやりますが、
ひとまず、一区切り、ということで・・・。」
みんなか暖かい、労いの拍手をもらう。

「期の途中でこのようなことになり、申し訳なく思っています。
でも、みんな、この間大きく成長し、引き継ぎをしながら頼もしく感じてきました。
この後のことは何も心配していません。
20年間、全力で仕事をしてきましたので、悔いはありません。
そしてずっと、これからも私はぴあを応援し続けます。
ありがとうございました。」

爽やかな気持ちでいっぱい。
笑顔で会社を出た。

”おまえは仕事(ぴあ)と恋愛している”、とまで言われてきた。
どれだけ会社、仕事、仲間との時間を費やしてきたことか。
仕事のトラブルに、会社の経営危機に、何度眠れない夜を過ごしたことか。

辞める話が社内に広まった後、”ぴあの象徴”、みたいな飯田さんが辞めるのは
とてもショックだと言われて、別の部門の女性の後輩と語り合った時、
仕事と家庭を両立する、という女性のキャリアのモデルを作りきれなかったことが
少しだけ心残りになった。ぽっかり穴を空けてしまい、ごめんね、という気持になった。
私は女性幹部の筆頭でもあり、唯一の管理職でもあったので、
20代、30代の女性の後輩達には、表に現れないけど、けっこうな失念を与えてしまった。

でも、いろんなキャリアのあり方があって良いんだよ、と伝えておきたかった。
「私は不器用なたち。仕事人生突っ走り系なんだよね。
40歳までがむしゃらに働いた分、また健康を取り戻したら、
次の人生のシーズン2のあり方を考えようと思う」

11月末からの仕事の引き継ぎ、20年間の仕事の集大成がようやく終わった。
お腹にいる小さな小さな胎児は、おとなしく、私を見守ってくれた。

2月末、待ちに待った16週(5ヶ月)、安定期に入る。

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