2011年7月26日火曜日

42歳からの妊娠・出産・・・(妊娠後期) 里帰り出産を決めて。

<北海道大学構内の蓮池>

3月末、祖母の死後しばらく、札幌に滞在して葬儀の後処理などに追われる母の側にいた。
5月、東京に戻った後も、相変わらず、原発問題はなかなか落ち着かなかった。
夫はこの後も不安定な状態が続きそうだ。生まれてくる子供のことを一番に考えよう、と言い、
5月半ばには、札幌での里帰り出産を決めた。

28週(8ヶ月)を過ぎ、いよいよ妊娠後期に入っていた。
地震のため延び延びになっていた会社の送別会が行われ、ようやく職場の仲間にも妊娠の報告ができた。友人・知人たちにも、徐々に情報が伝わり、お祝いや激励のメールが届いた。
同年代の友人は、「すごく嬉しいニュース。勇気をもらったよ!」と、42歳にして妊娠できたことを
自分のことのように喜んでくれた。
ようやく妊婦であることがオープンになり、「おめでとう!」と言ってもらえて、
私も本当に嬉しかった。
なんとなく、仕事を辞める時に心に引っかかっていた、”申し訳ない”、という気持ちが
少しずつ薄らいでもくれた。

母子ともに順調で、体調はすこぶる良かった。
5月末。近所の映画館にて、「うまれる」という出産ドキュメンタリー映画を観る。
死産という痛ましい経験談、18トリトミーという非常に重い障害を持つ赤ちゃんを生み、
育てている夫婦、不妊治療の末、子供を持つことを諦めた40代後半の女性など、
実在の夫婦が登場し、監督がすべての撮影をその本人たちの許可を得た上で進めるという手間のかかるプロセスを経て、妊娠・出産という難しい問題を、真摯に丁寧に、かつ逃げずに
対峙し、映像に仕立てた。
本人たち自らが、この作品が自分たちの問題を消化するきっかけになるかもしれない、とか、
自分たちが出演することにより、癒される、救われる人がいるかもしれない、などの使命感を持って
自らの意志で参加しているところが、素晴らしい映画に導いたのだ。

この映画を観て、私はこのタイミングでこの作品に出会えたことが本当に嬉しかった。
涙が溢れて止まらなかった。心に残る、いい映画だった。
そして、出産すること、へのいろんな意味での覚悟ができた。
何があっても、どんな事態でも、受け止めるしかない。
すべてを受け入れることが、命ということなのだなあ、と思った。

6/末、33週(9か月)過ぎ、里帰り出産のため、実家の札幌に帰省。
本当は町田の我が家で臨月、出産まで夫婦一緒に過ごしたかった。
原発は夫婦、親子を引き裂く。東電、政府を恨む。

7月末、36週(臨月)に入り、お腹の張りが出てきた。
今までになく、ずしっと重みを感じ、今までみたいにスタスタと歩けなくなる。
最低1時間のウォーキングを欠かさずに来たが、横になる時間が多くなってきた。
そして、相変わらず逆子が治らない。
ここ1ヶ月あまり、逆子治療に効く鍼灸も、逆子体操もずっと諦めずに続けてきたものの、
赤ちゃんの頭はおへその上部にしっかりとある。丸い堅い頭がしかとある。

なにか逆子のままでありたい理由があるのかね。
生まれてきたら聞いてみよう。
無事に元気で出てきてくれたらいいじゃないかと、夫も励ましてくれる。
それ以上は望むことはないよねと。
授かっただけで、もう十分に幸せなことだから。

7/27(水)これから入院。
明日の帝王切開の手術前、最後のエコーで赤ちゃんの位置を確認するらしいが、
このままいけば、明日、赤ちゃんがうまれる。
38週と2日。どんな顔をして出てくるのか。
祖母の墓前にお祈りをして、出かけよう。

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